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2012年8月18日 (土)

英国人女性柔道家と八田一朗

 1935年に外人女性としてはじめて柔道の黒帯を得たサラ・メイヤー女史が八田一朗氏のことを回想している。http://judoinfo.com/mayer.htm
 メイヤー女史は小泉軍治が1918年に創立したロンドン武道会で柔道を習い、1930年代の日本で修業した。1935年には京都武徳会で初段を得た。彼女は同年中に八田一朗を伴って帰国し(八田を小泉や谷幸雄に紹介し)再び武道会で修業してから自分の道場を設立した。

 メイヤー女史が小泉軍治に宛てた手紙。

1934年9月12日、東京
小泉さん。
 お手紙でお灸(moxsa treatment)がそちらで好評だということを知り、喜んでいます。私が帰国する頃には小泉さんは大金持ちになってロールスロイスを乗り回しているでしょうね。
 八田一朗さんが東京駅に出迎えてくれました。私は7月末にこちらに来て二週間ほど滞在するつもりでした。彼は私にホテルに泊まらないで彼のうちに泊まれと言ってくれました。私が神戸へ戻るときは、向こうで借りている家を処分して八田さんのお父さん宅に滞在すればよいというのです。それで私は一種の養子みたいにしてもらって、好きなだけ八田家に泊まればよいということになりました。Mayer3

 昨夜、一朗さんと私は有名な三船さんと食事をしました。講道館では三船さんに一度稽古を付けてもらい、よく見学しました。三船さんは飛び抜けた人です。弱々しく繊細に見える小柄なお爺さんです。稽古を付けてもらったとき、三船さんは上機嫌で、私はゴムボールみたいに部屋中投げ飛ばされました。投げ返してやろうとするとひらりひらりと体をかわされてしまうのです。(メイヤー女史は三船十段があちこちの道場に教えに行くのを追いかけて稽古を付けてもらったが、講道館では「女子部の道場へ行きなさい」と言われるので、あまり好まなかったという。女子部は「女学校みたい」でよくなかったそうだ。山本という高段者に稽古を付けてもらったときは、「柔道をするとき、私は自分を女だと思っておりません」と言ったら、90キロの体重で遠慮なくのしかかられて弱ったという。)

  東西でお互いに学び合ったわけで、柳澤氏の労作の裏話です。メイヤー女史が早稲田レスリング部の練習を見学する話も面白い。英語は易しいはずなので、是非お読み下さい。http://judoinfo.com/mayer.htm
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  歴史的記録を残す・尊重するという態度は、メイヤー女史にも、柳澤氏にももちろん那嵯涼介氏にもある。那嵯氏の取材対象となった人たちはビル・ロビンソンのような大物・傑物でも歴史に関心がないらしい。前にも書いたことだが、大先輩で「スネークピット」の創立者の正確な記録を残しておくのが英国人の義務のはずだが。僕は「スネークピットのサブミッションは柔術から取り入れたのだろう」と書いた。僕は取材していないので、これは推測に過ぎない。直接取材できる人は、これを否定できるなら否定してみて下さい。
 僕は神秘的秘教的な柔術の話なんぞは書いていない。「キャッチ・アズ・キャッチ・キャンとはフリースタイルの古い言い方だ」というような命題を書き付けているだけだ。これに対しては「間違いだ」「その通りだ」のいずれかで答えられるはずだ。これ位のことがワカランなんて、プロレファンの頭はどうなっておるのか? 諸君の脳みそは豆腐か?

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コメント

すっかりご無沙汰してました。命題、あるいは仮説への信用できる資料に基づいた回答は那嵯さんにお任せするとして、自分も「キャッチ・アズ・キャッチ・キャンとはフリースタイルの古い言い方だ」という説について考えてみました。ちなみに自分は三十郎さんの仮説の方が色々な点で腑に落ちると考えている立場です。

以前こちらのコメント欄に「『掴めるところならどこでも』というのは競技の名称としてはおかしいような」と書かせていただいた事があります。ただ90年代前半の総合格闘技はブラジルではヴァーリ・トゥード、英語圏ではノーホールズ・バーとそれぞれの国で「何でもあり」と呼ばれていた事を思い出します。
そこから考えるに競技としてVT,NHBが普及、整備していくにつれてミクスド・マーシャルアーツというそれっぽい競技名が定着したように、最初は力自慢同士の競い合いが普及、整備(競技化)していった事により、フリースタイル・レスリングという呼称が定着していったのだと考えております。

投稿: タカハシ | 2012年8月20日 (月) 12時47分

ところで自分は関節技については「欧州のレスリングにおける関節技はフォールを取る(相手をコントロールする)事を前提として進化したもので、『参った』をさせる使い方の関節技の多くは柔術から取り入れたのだろう」と考えています。例えば相撲にはかんぬきという技があり、もしかしたら『参った』もルール上認められているのかも知れない。しかし投げたり土俵から出す方が手っとり早いので、相撲における関節技は進化しなかった、という事もあるかも知れないですよ。

技術的な事を言えば、ロビンソンに高山選手は「なぜキャッチに下から極める技術はないのですか?」と聞いた処、ロビンソンは「お前が知らないだけで、こういうのやこういうのもある」と極めまくった・・・という事はなく「レスリングにはピンフォールがあるから、下から極めるという技術はない」と言われたそうです。3カウントはプロレスのルールであり、キャッチのピンフォールが1回なら、下からの技術の発達は難しいですよね。まぁ自分が知らないだけで、両肩を付けずに上の選手を極める技術はありそうなものですが。

投稿: タカハシ | 2012年8月20日 (月) 12時58分

自分の関節技に対しての論拠は「少しでも関節技に対する知識があるのなら、あれだけ体格差がある相手に一方的にやられるはずがない。よっぽどレベルが低いか、まるで知らないか以外には考えられない」というところからスタートしてます。

投稿: タカハシ | 2012年8月20日 (月) 13時03分

なるほど、かんぬきも関節技ですね。柳澤氏の本にもフリースタイルレスリングで腕絡みをかけてフォールする写真が出ていました。あれは笹原選手だったかな。英語版ウィキペディアの谷幸男の項に、むかしの英国では関節技の知識がなかったから谷がレスラーに楽勝したというようなことが書いてあったはずです。

投稿: 三十郎 | 2012年8月20日 (月) 19時04分

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