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2012年8月10日 (金)

シャーロック・ホームズの代理人?

 もちろん、アーサー・コナン・ドイルは、医学博士ジョン・H・ワトソンのliterary agentであった、というのが正確な言い方です。ワトソン博士の書いた原稿をドイルが自分名義でストランド・マガジンに載せたのだから。
 しかし、シャーロック・ホームズの代理人という言い方もあながち間違いではない(編集者がタイトルを付けるときにちょっと奇を衒ったのですが)。
 コナン・ドイルのもとには、ホームズ宛、ワトソン宛、ドイル宛の手紙が来て、中にはむつかしい問題の解決を依頼してくるものもあった。ドイルが問題に取り組んでみる気になることもあった。そういうとき、ドイルは一室に閉じこもって「自分がシャーロック・ホームズだったらどうするか」と考えてみるのだった。ドイルはホームズになりきることができて、たいていの問題は見事に解決した。ジョージ・エダルジ事件やオスカー・スレイター事件は、ホームズに劣らない推理力がドイルにあったことを示している。

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コメント

ようやく入手しました。
「訳者解説」で、小林司氏が「日本シャーロック・ホームズクラブ会長」と紹介されていましたが、
同氏はクラブに、長たる職を設けず、夫人の東山あかね氏とともに、生涯「主宰者」を名乗っておられました。

投稿: ころんぽ | 2012年8月12日 (日) 18時28分

会長ではなかったのですか。知らなかった。ありがとうございます。

投稿: 三十郎 | 2012年8月12日 (日) 21時09分

訳書を拝見しました。
コナン・ドイルの父が退職したのは1876年ですが、しばらくは自宅にいました。(書簡集を読めば自宅にいることが確認できます)
アルコール依存症の治療所であるブレアールノに入ったのは1881年です。その後精神病院を転院してます。

投稿: 通りすがり | 2012年8月13日 (月) 17時07分

日時に関しては、Brian W. PughのA Chronlogy of the life of Sir Arthur Conan Doyleという年譜を基準にしました。これが正しいという理由もないのですが。
年譜では1876年6月退職、同年中(月日不明)にブレアーノハウス入所とあります。年譜はスタシャワーの伝記と2004年新発見の資料を根拠に挙げています。同じ年譜に1879年にブレアーノハウス入所という記述もある。こちらは別の新しい伝記が根拠。
精神病院については年譜に1883(n.d.) Charles Altamont Doyle institutionalized.とあるのによりました。
ところが、1879年n.d. Charles Doyle entered an institution Fordoum House.という記述もある。これは1997年刊の伝記によるらしい。

投稿: 三十郎 | 2012年8月14日 (火) 16時56分

「書簡集」によるとコナン・ドイル自身が父親を施設に入れたことを書いています。
この年が1881年です。

どの伝記に何が書いてあるかが問題ではなく、ご本人のコナン・ドイルが言っていることが
正しいのでは?

投稿: 通りすがり | 2012年8月15日 (水) 15時32分

仰せの通りです。伝記もいい加減で書いていますね。私が持っている書簡集はペンギン版ですが、これの136頁に編集者(スタシャワーを含む)がロティ宛ての手紙の一部を引用しています。
コナン・ドイルは1881年4月9日付の妹ロティ宛ての手紙で「我々はパパをアバルディーンシアのヘルスリゾートに送り出した」と書いている云々。ロティ宛ての手紙そのものは発見できなかった。
これも編者解説ですが、チャールズはwas pensioned offと書いてあるので、勧奨退職くらいですね。「馘首された」のだと思っていた。

投稿: 三十郎 | 2012年8月15日 (水) 19時03分

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