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2012年8月 2日 (木)

コナン・ドイルの伝記

 名探偵シャーロック・ホームズを創造した作家、アーサー・コナン・ドイル(1859-1930)の伝記は、英語ではすでに二十数冊が刊行されている。ドイルが一九三〇年に七十一歳で亡くなると、翌年にジョン・ラモンドという人がシャーロック・ホームズ全集を出しているマレー社から『アーサー・コナン・ドイル覚書』という伝記を刊行した。ラモンド氏はドイルが晩年に凝っていたスピリチュアリズムの仲間で、この伝記はホームズよりも「スピリチュアリストとしてのコナン・ドイル」に焦点を置いたものらしい。これでは困る。コナン・ドイルのような一流の人物には文学的価値の高い本格的な伝記を書いておくべきだというのが、英国では常識である。
 幸い、伝記作家として有名なヘスキス・ピアソン(1887-1964)がコナン・ドイル伝を書きたいという意向だったので、妻のジーン、次男のデニス、三男のエイドリアンなどの遺族はピアソンに全面的に協力することにして、未刊の原稿や書簡などの資料を自由に使わせた。ピアソンは生前のドイルを知っていたし、バーナード・ショー(1856―1950)をはじめ存命の同時代人にもインタビューした。1943年に本書が刊行されると、グレアム・グリーンが「ヘスキス・ピアソン氏にはジョンソン博士に通じる特質がある」と最大級の賛辞を呈した(附録の「ポーカーフェイス」は本書の初版が出たときにグリーンが書いた書評である)。オブザーバー紙では「この秀逸な伝記に新たなものを付け加えない限り、もはやコナン・ドイルについて本を書く余地はない」と書かれるなど、評判は上々であった。
 ヘスキス・ピアソンの本書がコナン・ドイル伝の「決定版」と見なされたということである。英国では、偉人や有名人については何冊か伝記が出て、そのうちの一冊が「決定版」になる。場合によっては決定版が出た後で、「新たなもの」を付け加えた伝記が出て、偉人のイメージがひっくり返ることもある。ピアソンと同時代人だったリットン・ストレーチー(1880―1932)の『ヴィクトリア朝偉人伝』(みすず書房2008)は、「決定版をひっくり返す伝記」であった。

 ストレーチーの「偉人」の中で我々も知っているのはフロレンス・ナイチンゲールである。ナイチンゲールについては、すでに「決定版」の伝記が出ていて、日本でも看護学校の卒業式に「ナイチンゲール誓詞」を朗読するのは、このような伝記の内容が知られているからだろう。ストレーチーによれば、ナイチンゲールは実に手強い女で、コナン・ドイルも手こずった陸軍省を相手にまわして一歩も引かなかった。宮本百合子は、ストレーチー版を読んだ後で、こう書いている。「慈悲の女神、天使として、フロレンス・ナイチンゲールは生きているうちから、なかば伝説につつまれた存在であった。後代になれば聖女めいた色彩は一層濃くされて、天上のものが人間界の呻吟のなかへあまくだった姿のように語られ描かれているが、フロレンス・ナイチンゲールの永い現実の生活は、はたしてそんな慈悲の香炉から立ちのぼる匂いのようなものであったろうか。人間のために何事かをなし得た人々は、今も昔もきわめて人間らしさの激しくきつい人々、その情熱も智力も意志もひとしおつよい人々ではなかったのだろうか」(「フロレンス・ナイチンゲールの生涯」新日本出版社版全集第十四巻)

 オブザーバー紙の書評の主意は、ジョン・ラモンドに次ぐ二人目にヘスキス・ピアソンという大物が出てきて「秀逸な伝記」を書いてしまったから、以後ドイルについて書くにはよほど新機軸を出さなければ無意味だ――ということである。
 ところが遺族、特に父親を熱烈に崇拝していたエイドリアンはピアソンの書いた決定版である本書が気に入らなかった。ピアソンがスピリチュアリズムに帰依したドイルを「頭が単純で精神的に未発達な男」として描いたのが許せなかったらしい。エイドリアンは1945年にThe True Conan Doyleというパンフレットを書いて本書に反論した。1950年代になって、BBCがホームズ生誕百年記念プログラムの一部としてヘスキス・ピアソンに講演を依頼すると、「ピアソンに出演させるならば今後ホームズのドラマ化は許さない」と言って妨害した(その後、シャーロック・ホームズはラジオドラマになり、テレビドラマにもなった。ヘスキス・ピアソンはBBCに出演しなかったようだ)。

 遺族は改めてジョン・ディクスン・カーに委嘱し、カーは二年間かかりきりになって1949年にドイル伝を上梓した。これは早川書房版で568頁の大冊である。こちらの方は気に入ったらしく、エイドリアンはカーと共著で1954年に パスティッシュ短篇集The Exploits of Sherlock Holmes (『シャーロック・ホームズの功績』早川書房1956)を出している。
コナン・ドイルの伝記で邦訳があるものは

(1)ジョン・ディクスン・カー『コナン・ドイル』早川書房一九六二(原著一九四九)
(2)ジュリアン・シモンズ『コナン・ドイル』東京創元社一九八四(原著一九七九)
(3)ロナルド・ピアソール『シャーロック・ホームズの生まれた家』新潮社一九八三(一九七七)
(4)ダニエル・スタシャワー『コナン・ドイル伝』東洋書林二〇一〇(原著一九九九)
   
 自伝と自伝的小説にも翻訳がある。
コナン・ドイル『わが思い出と冒険』新潮文庫一九六五(原著一九二四)
コナン・ドイル『スターク・マンローからの手紙』河出書房二〇〇六(原著一八九五)

 自伝と自伝的小説を英語で読んでみると、ヘスキス・ピアソンがドイルの文章を本書でほとんどそのまま使っていることが分かる(邦訳版と本書を比べると、かなり書き換えているように見えるかも知れない。これは新潮文庫版と河出版の翻訳がよくないのである)。
 従来、日本では、有名な探偵小説作家が書いたというので、ジョン・ディクスン・カーのコナン・ドイル伝がベストであるとされていたようだ。しかし、日本人がよく知らないことがある。
 それは、英国ではヘスキス・ピアソンの書いた本書が高く評価され決定版と見なされていること、カーがコナン・ドイルの伝記を書いたのは、前述のようにドイルの三男エイドリアンとヘスキス・ピアソンが喧嘩したためであることだ。
 カーの『コナン・ドイル』の書き出しは

 一八六九年の夏のある午後、エディンバラ市サイエンス・ヒル・プレース三番地の家で、台所のとなりの荒いみがかれた小さな食堂に、ひとりの中年ちかい紳士が、自分のかいた水彩画に向かって腰をおろしていた。彼は過去二十年の歳月を回想していたのである。
 背が高く、絹のような顎髭がチョッキにまでたれて、濃い髪の毛は額を横切って渦まいていたが、そのような異彩をはなつ容貌の人物にしては、態度が隠棲的で、気弱そうだった。身につけている衣服は、見すぼらしいながらも、妻が精いっぱい努力して、世間へ出ても体面がたもてるだけのものにしていた。ただ、ちらと横目で台所のほうを見やった彼の目には、独自の性格と、はるか戸外を見とおす洞察力とがひらめいていた。(大久保康雄訳)

Cadphoto

「中年ちかい紳士」というのは、コナン・ドイルの父、チャールズ・ドイルのことである。小説仕立てにしてある。ジョン・ディクスン・カーはヘスキス・ピアソンの二番煎じだけは避けなければならなかった。わざと『スターク・マンローからの手紙』や『わが思い出と冒険』を利用せず、書き方を工夫して新味を出そうとした。しかし、どうもこれはグレアム・グリーンのいわゆる「書き手が興奮してしまった」場合のようだ。(訳者解説より)

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コメント

こんにちは。

老婆心ながら(?)ひとつだけコメントを。

エイドリアン・ドイル"The True Conan Doyle"
の発行年ですが、1945年ではないでしょうか。

投稿: 熊谷 彰 | 2012年8月 3日 (金) 12時46分

仰せの通り1945年です。本には正しく書いたのですが、洋数字に直す際に間違った。直しておきます。ありがとう。

投稿: 三十郎 | 2012年8月 3日 (金) 15時50分

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