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2013年2月25日 (月)

またまた牧師か神父か

 丸谷才一よりもはるかに大物でも混同している。

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DAT FLEESCH
グスタアフ・ヰイド Gustav Wied
森林太郎訳

 ブレドガアデで午食をして来た帰道である。牧師をしてゐる兄と己とである。兄はユウトランドで富饒なヱイレあたりに就職したいので、其運動に市中へ出て来た。ところが大臣が機嫌好く話を聞いてくれたので、兄はひどく喜んでゐる。牧師でなくては喜ばれぬ程喜んでゐる。兄は絶えず手をこすつて、同じ事を繰り返して言ふ。牧師でなくては繰り返されぬ程繰り返して言ふ。「ねえ、ヨハンネス。これからあの竪町の内へ往つて、ラゴプス鳥を食べよう。ラゴプス鳥を。ワクチニウムの実を添へてラゴプス鳥を食べよう。」
 こんな事を言つて歩いてゐると、尼が二人向うから来た。一人の年上の方は、外国へ輸出するために肥えさせたやうに肉が附いて、太くなつてゐる。今一人は年が若くて、色が白くて、背がすらりと高くて、天国から来た天使のやうな顔をしてゐる。
 我々と摩れ違ふ時、二人の尼は目を隠さうとした。すらりとしてゐる方にはそれが出来た。太つた方は下を視るには視たが、垂れた上瞼の下から、半分おこつたやうな、半分気味を悪く思ふやうな目をして、横ざまに己の顔を見た。
「あ。いつかの二人だつた。」己はかう云つて兄の臂を掴んだ。
「誰だつたと云ふのかい。」
「まあ、聞いて下さい。あなたの、その尊い口にも唾の涌くやうな話なのです。あの鍛冶屋町を知つてゐるでせう。」
「うん。まだお上のお役をしてゐた時、あそこで日の入を見てゐたことが度々あるよ。ひどく寂しい所だ。」
「それに乳母が大勢集まる所です。」
「己の往く頃はさうでもなかつたよ。己の往く頃は。」
「まあ、聞いて下さい。わたしが鍛冶屋町を発見したのは、去年の春でした。実際あなたの云ふ通、寂しい所で、鳥の声が聞える。鵠がゐる。尼さん達が通るのです。長い黒い列を作つて通るのです。石炭の丸を緒に貫いたやうな工合ですね。年上のと若いのと並んで行くのもある。年上のが二人で、若いのを一人連れて行くのもある。若いの二人を、年上のが一人で連れて行くのもある。兎に角若いの二人切で行くと云ふことはありません。若いうちはいろ/\な誘惑がありますからね。」
「さうだとも。肉は弱いもので。」
「肉がですか。何も肉が、外のあらゆる物に比べて、特別に悪いと云ふ訳でもありますまい。」
「己はそんな問題に就いてお前と議論したくはないよ。」
「さうでせうとも。御尤です。そこで兎に角鍛冶屋町を尼さん達が大勢通るのです。朝も昼も晩も通るのです。それが皆フランスを話します。どれもどれもまづさ加減の競争をしてゐるやうなフランスですね。丁度其頃わたしはへツケル先生と手紙の取遣をしてゐました。へツケル先生は御存じでせう。」
「あのダアヰニストのへツケルぢやないのかい。」
「無論さうです。ダアヰニストですとも。わたしはこんな事を問ひに遣(や)つてゐました。若し人間と猩々と交合させたら、其間に子が出来て、それが生存するだらうかと。まあ、兄いさん、黙つて聞いてゐて下さい。それが生存するだらうかと云ふ事と、それからそれが生存したら、人間と猩々とが同一の祖先を有すると云ふ一番明瞭な証拠ではあるまいかと云ふ事と、この二つを問ひに遣つたのです。わたしはひどく此問題に熱中してゐたものですから、往来を誰が通らうと、大抵そんな事は構はずにゐました。わたしは鍛冶屋町の道傍に腰を掛けて、そんな問題に就いて沈思してゐました。或日の事、丁度エナのへツケル先生の所から手紙が来て、こんな事が云つてありました。さう云ふ試験を実行するには、随分困難な事情もあらうと思ふが、それは問題外として、よしや其試験が出来て生存するに堪へる子が生れたとしても、先生自己の意見では、それで問題の核心に肉薄し得たものとは認められないと云ふのですね。其点はわたし先生と大いに所見を殊にしてゐたのです。わたしは。」
 兄は己を抑制するやうに、手を己の臂の上に置いた。「ねえ、お前。お前の今言つてゐる事には、大いに詩人的空想が手伝つてゐるのだらうね。己はさうありたいと思ふのだが。」
「いゝえ。大違です。なんなら内で先生の手紙を見せて上げませう。」
「でも、人間と猩々とが。」
「いいえ。さう大した懸隔はないのです。それよりかもつと。」
「それは褻涜と云ふものだ。」
「さうでせうか。わたしなんぞは敢て自ら其任に当つても好い積です。」
「もう馬鹿な事をよせよ。」
「でも、あなたはお分かりにならないか知れませんが、一体科学が。」
「もうよせ。己は其問題をさう敷衍して見たくはないのだ。」

 青空文庫をコピーさせてもらった。これから本題に入っておもしろいところだ。
 修道女(鴎外は「尼」と書いている)が出てくるのだから、カトリックの話のはずだ。このお兄さんはどう見ても神父さんである。
  昔は尼とか僧正とか仏教式に呼んで平気だったのだから、牧師と神父の違いくらいは誰も気にも留めなかったのだろう。
  dat Fleeschはデンマーク語らしい(ドイツ語ならdas Fleisch(「肉は弱いもので」))。デンマークはカトリックの国だったか? いずれにせよ、神父の赴任地を決めるのは「大臣」ではなくて「司教」のはずだ。ここも誤訳だろう。
 丸谷才一どころか鴎外まで間違えるくらいなのだから、延原氏や有象無象を咎めるのは酷なのか? やれやれ。

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2013年2月23日 (土)

また牧師か神父か

 ブラウン神父が間の抜けた顔をしてをり、小男であることは、すでにぼくたちがよく知つてゐることだが、これもまた、社会通念への叛逆といふロマンティックな詩情を狙つたものであらう。なほ、チェスタトンが彼の名探偵を牧師に仕立てたのは、さきほど引用したコリンズの方式に忠実なのであつて、これもまた、牧師こそは最も非探偵的な存在であるといふ意識のあらはれにちがいない。(丸谷p.178)

 ブラウン神父はもちろんカトリックの司祭であつて、プロテスタントの牧師ではない。
 丸谷先生まで間違へるとは実に困つたことだ。

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2013年2月14日 (木)

ありがとう

Chocolate_2

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