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2013年9月24日 (火)

アーサーとジョージ(2)

 ジョージ・エダルジ事件について要領を得た記述があるのは、ヘスキス・ピアソンの伝記『コナン・ドイル』(拙訳)である。ウィキペディアにも詳しい記述があるが、煩雑すぎる。

 二十世紀が始まったころに、スタッフォードシャー州グレート・ワイリーの教区牧師はエダルジという名前のパールーシー人[ペルシャ系インド人、ゾロアスター教徒が多い]であった。彼はインドから来て英国人女性と結婚していた。二人の間には息子と娘がいた。エダルジ家は村人に嫌われていた。村人たちはパールーシー人などにキリスト教を教えられたくはないと思ったのだろう。牧師館宛てに汚い言葉を使った脅迫状が送り付けられるようになった。同じころ、何者かが厩に忍び込んで馬を刃物で傷つける事件が続発して、警察は何故早く犯人をつかまえないのかと非難を浴びた。やがて警察は、どういうわけか匿名の脅迫状の書き手と馬の傷害事件の犯人が同一人物だという結論に達し(脅迫状に馬の事件に触れたくだりがあった)、犯人は牧師の息子ジョージ・エダルジだと決めつけた。ジョージは逮捕され、裁判にかけられ懲役七年の判決を受けた。一九〇三年のことであった。この事件は警察のでっち上げだった。判決の不当性は明かであり、抗議する者もいたし『トルース』誌上でも盛んに取り上げられた。しかし、コナン・ドイルが一九〇六年になってこの事件を取り上げなければ、エダルジ青年は七年間の服役を終えて一生を台無しにされていただろう。ドイルはたまたま『アンパイア』紙を見てエダルジ青年の陳述を読んだ。一言一句に真実の響きがあった。
 ドイルは直ちにほかの仕事を全部中止して、この事件に全精力を注いだ。裁判記録を読み、エダルジ家の人々に話を聞き、事件現場を調べた。ドイルの発見した事実は特異なものだった。ジョージ・エダルジは鉄道法に関する著書が一冊ある事務弁護士であり、法学生時代の記録は非の打ち所のないものだった。勤務先のバーミンガムの弁護士事務所ではエダルジは賞賛され、法律学校では最高の成績をあげ、酒は一滴も呑まず、残虐行為を働きそうなところは少しもなく、静かで勉強好きで理性的な性格であり、何より目が悪くて六フィートも離れると人の顔が分からないくらいだった。
George_edalji
この最後の点が決定的だった。馬を傷つけるには、暗い夜に鉄道の線路を越え、生け垣を越え、針金が貼ってあるところを通り抜け、そのほかにもたくさんある障害を回避して厩に忍び込まなければならない。それに父親は眠りが浅い男で同じ部屋に寝ていたのだが、寝室のドアに鍵をかけ、息子が夜中に外に出たことはないと誓っていた。
 ドイルは一九〇七年一月にデイリーテレグラフ紙にこの事件について一連の記事を書き、大反響を呼んだ。政府は委員会を作って証拠を再検討させた。委員会というものは愚か者の集まりとしか思えないことが多いが、この委員会も例外ではなかった。エダルジが馬を傷つけたという冤罪は晴らしたが、匿名で自分の家族宛に脅迫状を書いたという説は固守したから、正義が行われなかったのは本人にも責任があるとして、エダルジに賠償金を支払うことを拒んだ。エダルジは直ちに釈放され弁護士協会は彼の復帰を認めたが、三年間服役したのに一文の補償金も支払われなかった。
 ドイルは独自の調査によってこの脅迫状を書き馬を傷つけたのが近辺に住む別の男だということを突き止めた。これは常習的な犯罪者だった。ドイルは証拠を揃えてこれを当局に渡した。ところが内務大臣のグラッドストーン卿は官僚のトップに過ぎないことが明らかになった。彼は明白な事実を認めるのを拒んだのである。犯人は馬用の手術刀を他人に見せてこれで馬をやったのだと告白していた。彼は屠殺場で訓練を受けかなりの腕前だった。匿名で手紙を書いたことが何度もあった。彼の筆跡と彼の兄弟の筆跡がこの事件の脅迫状の筆跡と一致した。彼は定期的に気が変になった。彼がいない間は脅迫状も来ず馬の被害もなかったのに、戻ってくるとまた始まった。エダルジが監獄にいる間にも凶行は続いた。これだけの証拠を揃えてやったのに無視するなど、内務省の官僚は正気ではないとドイルは思った。しかし官僚に理性と公正を期待するなど、ドイルの方が正気ではなかったのだ。(p.p195-197)

エダルジの父親が牧師を務めていた村はGreat Wyrlyである。この訳書ではグレイト・ワイリーと書いたが、ウェアリーの方が正しい発音に近いようだ。
  パールシーというのは民族名なので、本当は「パールシー人」という書き方は正しくない。英語でZen Buddhism禅仏教とかKinkakuji Temple金閣寺寺などと書くのと同じで仕方がないのかも知れないが。
 

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2013年9月23日 (月)

アーサーとジョージ(1)

『フロベールの鸚鵡』と『終わりの感覚』のジュリアン・バーンズに『アーサーとジョージ』という未訳の長篇がある。
 ジュリアン・バーンズは『終わりの感覚』でブッカー賞を得た。『フロベールの鸚鵡』と『アーサーとジョージ』はブッカー賞にノミネートされたが、受賞できなかった。

Arthur & Georgeはの題材はドイルがインド人弁護士の冤罪を晴らした有名な事件であるが、バーンズはこの事件をアーサー・コナン・ドイルとジョージ・エダルジの幼時から死に至るまでの伝記小説という形で、書き直した。
 ジョージ・エダルジ事件では、コナン・ドイルがパールシー(ペルシャ系インド人)の英国国教会牧師の息子エダルジの冤罪(警察のでっち上げ)を見事に晴らした。一九〇七年のことであった。
 コナン・ドイルの愛妻ルイーズは当時死病であった結核を患っており、ドイルと21歳の美女ジーン・レッキーとの間でプラトニックな関係が始まっていた。ドイルは最善の努力を払ってルイーズを生き延びさせようとしたが、ジーンと結ばれるためにはルイーズが死ななければならなかった。
 このあたりの事情は、コナン・ドイル伝では無視できないはずであるが、ヘスキス・ピアソンのものも含めて従来の伝記では書かれていない。
 ジュリアン・バーンズが、伝記小説という形でこの事件を取りげたのが、『アーサーとジョージ』である。バーンズは、典型的な英国人アーサーとパールーシーの牧師とスコットランド女性の混血だったジョージの対比伝(『アーサー』の章と「ジョージ」の章が交互に現れる)という形を発明し、小説家の特権で探偵小説作家と牧師の息子の内面を描いてみせる。

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2013年9月20日 (金)

頭の禿げた六十男

 私は赤面した。頭の禿げた六十男が赤面するものか? いや、実際にした。髪がふさふさで染みだらけの五十男が赤面するのと同じだ。ただ、それよりまれなことは確かで、この赤面男は、人生が赤面の長い連続だった遠い昔まで転げ落ちていった。(p.93)

『フロベールの鸚鵡』のジュリアン・バーンズが書いた『終わりの感覚』は、村上春樹の『多﨑つくる』と似ていなくもない。
 どちらも、18歳から19歳ころに起きた事件の謎を解明しようという話である。違いは主人公にある。多﨑つくるは『風の歌を聴け』以来の「僕」と同じである。三人称になっているが、三十代の独身男である。ジュリアン・バーンズの「私」は、「頭の禿げた六十男」で、離婚して一人暮し、孫の写真を持ち歩いている。ときどき離婚した妻と会う。
 バーンズは昔の事件の謎を解こうとする。村上春樹と違ってマジックリアリズムではないから、謎の提示と解決は探偵小説と同じ流儀で律儀に行われる。終盤にはどんでん返しもある。
 土屋政雄氏の翻訳は見事なもの。これなら自分で英語を読むよりよろしい。
 ジュリアン・バーンズ氏は1946年生まれというから60代であるが、頭は禿げていない。

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2013年9月15日 (日)

コナン・ドイルとアガサ・クリスティ

[1930年、ジョージ・エダルジは54歳になっていた。ドイルの努力のおかげで釈放され、弁護士の仕事を再開することはできていた。彼はロンドンで妹のモードと暮らしていた。ある朝、サー・アーサー・コナン・ドイルが昨日9時15分にサセックスの自宅、ウィンドルシャムで死去したというニュースを読んだ。ジョージは1906年にはじめて会って以来のサー・アーサーとの付き合いを思い出した。サー・アーサーは「ジョージ、私は君が無罪だと思うのではない。無罪だと知っているのだ」と言ってくれた。ジーン・レッキー嬢と結婚したときは披露宴に呼んでくれた。ドイルの自伝『わが思い出と冒険』には、「彼以上に私が誇らしく思ったゲストはいない」と書いてある。ドイルの婦人参政権反対やスピリチュアリズムのキャンペーンにはジョージは賛同することができなかった。}

 サー・アーサーは探偵役の自演も続けていた。三四年前には、女流作家の奇妙な失踪事件があった。クリスティとかいう名前だった。探偵小説の新星だということだったが、ジョージは新星などに興味はなかった。まだシャーロック・ホームズの事件簿が続いていたのだもの。クリスティ女史はバークシャーの自宅から姿を消し、車がギルドフォードから5マイルほど離れたところで発見された。警察が三度にわたって捜索したが彼女を発見することはできなかったので、サリー州の警察副本部長は、サー・アーサーに依頼した(ドイルは当時サリー州副知事だった)。これに続いて起きたことは多くの人々を驚かせた。サー・アーサーは証人たちを尋問したか? 踏み荒らされた地面を改めて調べて足跡を探したか? 捜査に当たった警官どもを問いただしたか? 有名なジョージ・エダルジ事件のときは、こういうことをやって成功をおさめたのだが。しかし、今回はそんなことはしなかった。彼はクリスティ女史の夫を訪ね、夫人の手袋の片方を入手して、これを霊能者に渡した。霊能者はこの手袋を額に宛てて、失踪した女性の行方を探り出そうとした。……ジョージは、アーサーの新奇な捜査方法のことは新聞で読んだ。自分の事件のときは、もう少し正統的な方法が使われたのは、よかったと思った。(ジュリアン・バーンズp.465)

{アガサ・クリスティはもちろん発見された。ドイルの雇った霊能者の手柄であったとは、ジュリアン・バーンズは書いていない。)

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