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2013年9月20日 (金)

頭の禿げた六十男

 私は赤面した。頭の禿げた六十男が赤面するものか? いや、実際にした。髪がふさふさで染みだらけの五十男が赤面するのと同じだ。ただ、それよりまれなことは確かで、この赤面男は、人生が赤面の長い連続だった遠い昔まで転げ落ちていった。(p.93)

『フロベールの鸚鵡』のジュリアン・バーンズが書いた『終わりの感覚』は、村上春樹の『多﨑つくる』と似ていなくもない。
 どちらも、18歳から19歳ころに起きた事件の謎を解明しようという話である。違いは主人公にある。多﨑つくるは『風の歌を聴け』以来の「僕」と同じである。三人称になっているが、三十代の独身男である。ジュリアン・バーンズの「私」は、「頭の禿げた六十男」で、離婚して一人暮し、孫の写真を持ち歩いている。ときどき離婚した妻と会う。
 バーンズは昔の事件の謎を解こうとする。村上春樹と違ってマジックリアリズムではないから、謎の提示と解決は探偵小説と同じ流儀で律儀に行われる。終盤にはどんでん返しもある。
 土屋政雄氏の翻訳は見事なもの。これなら自分で英語を読むよりよろしい。
 ジュリアン・バーンズ氏は1946年生まれというから60代であるが、頭は禿げていない。

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