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2013年10月22日 (火)

些末な誤訳論争

ウィキペディアの記事を借りる。

立命館大学文学部教授の下川茂は、野崎の訳したスタンダールの『赤と黒』(光文社文庫、2007年)に対し、誤訳が多すぎるとの批判を行っている。下川は「前代未聞の欠陥翻訳で、日本におけるスタンダール受容史・研究史に載せることも憚られる駄本」としたうえで「仏文学関係の出版物でこれほど誤訳の多い翻訳を見たことがない」と指摘し「まるで誤訳博覧会」と主張している。2008年3月付の第3刷で同書は19ヶ所を訂正したが、下川は「2月末に野崎には誤訳個所のリストの一部が伝わっている。今回の訂正はそこで指摘された箇所だけを訂正したものと思われる」と批判したうえで、誤訳の例を列挙し「誤訳は数百箇所に上る」と指摘している。下川は、いったん絶版として改訳するよう要請する書簡を野崎宛てに送付した。
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 しかし、光文社文芸編集部の編集長駒井稔氏は「読者からの反応はほとんどすべてが好意的ですし、読みやすく瑞々しい新訳でスタンダールの魅力がわかったという喜びの声だけが届いております。当編集部としましては些末な誤訳論争に与する気はまったくありません」と反論している。
(駒井氏の写真などは読売ADリポート[オッホ]より。http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200811/11toku2.php
このサイトでは駒井氏は賞賛されています。)
 
「些末な誤訳論争」だって。驚いた。誤訳があっても「読みやすく瑞々し」ければ構わない?
 赤と黒は、できれば原文で読みたい。しかし、原文で読むためには、1ヶ月くらいかけてフランス語を復習しなければならない。そんな暇はないから、翻訳で読むのである。私は昔読んだ岩波文庫の桑原武夫訳をもう一度読む。あるいは英訳で読むという手もある。

「野崎歓と光文社の駒井はひどい奴だ」という反応はもちろん多いが、意外なことに、誤訳指摘をした下川氏をたしなめる声もある。
「しかし一方、下川さんの異議申し立てのやり方にも、ちょっと穏当でないものを感じます。怒り心頭に発したのかもしれませんが、今回の手法はいきなり大上段から相手の脳天を斬りつけるみたいで、もう少しやりようがあったのでは、という気はする。」(ミステリー作家戸松淳矩 あさっての日記)

 しかし、「レナール氏のいびき」とすべきところを「レナール夫人の寝息」としているのだ。ムッシューとマダムを混同しているのだ。スタンダールの偽物を作ったのだ。大上段から脳天を切りつけられて唐竹割にされても仕方がないじゃないか? あるいは有名な内田ジュ先生は

「あなたは間違っている」というときには、どうやったら「はい、そうですね。直しておきます」という即答が得られるか、その効率についての配慮もまた必要だろうと私は思う。
「誤訳を認めることで失われるもの」の値を吊り上げるのは、その意味では効率的ではない。
野崎歓さんは「翻訳なんて」顧みられない場所で黙々とフランス現代文学の翻訳という報われることの少ない仕事をしてきた人である。(内田樹の研究室)

 そんな業界内部の話をされても困る。「野崎歓さんがどういう人か」なんて私の知ったことか。こちらはフランス文学やフランス現代思想の研究者ではなくて、赤と黒を読みたいけれど、やむを得ず翻訳で読むのである。

 しかし、誤訳指摘というのは反感を買うらしい。どうやら読者は誤訳を指摘されている側に感情移入してしまうらしい。
 拙著『シャーロック・ホームズの愉しみ方」のアマゾン読者レビュー

本書はそうしたシャーロキアンの世界に浸るのには、もってこいの良書です。
この点までは☆五つ。
ただし。
「この訳文は誤訳である!」と拳を振り上げるのは余分。
架空の世界のどっぷりと浸っているところを、現実の刃物で切り裂かれるというか興ざめなところがあります。
これで☆マイナス二つ。

 理解しがたい。君は正典ではなくまがい物を読んで「架空の世界にどっぷり浸る」ことができるのかね? 「この訳文は誤訳であると拳を振り上げる」のは、私の態度がよくない? 態度の問題ではないのだ。正しいか間違っているかが問題なのだ。シャーロック・ホームズのいわゆるimpersonalな問題なのだ。誰がどうだという問題ではない。Personally個人的には,I am satisfied that---を「満足している」「うれしく思う」などと訳する人は豆腐の角に頭をぶつけて死んでいただきたいと思うが(本にはそんな穏やかでないことは書けないので書かなかった)。
 モリアーティ教授が「軍人の家庭教師」をしている英国は、シャーロック・ホームズの英国ではなくて偽物の英国なのですよ。
 ふたたびウィキペディア
そのほか北海道大学の佐藤美希は、野崎の単純なミスによる誤訳を認めつつ、論争の背景には「新訳ブーム」における新しい翻訳観と、下川の持つ規範的な翻訳観との対立があると論じている。

 そんな高級な話ではない。新しい翻訳観は結構だけれど、間違う、よろしくない。

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コメント

日本語で読むのは所詮「一般」読者であって研究者ではない。
一般読者は、暇潰しに読むのだろうから、ストーリーが大雑把に分かればそれで十分、
とでも思っているのだろうか。
だとしたら、古典の「新訳」も「新装版」の別形態に過ぎないのかと勘ぐってしまう。
古い本を売るための新手の営業企画だったのか。

投稿: ころんぽ | 2013年10月22日 (火) 20時19分

光文社に限らず、「誤訳なんて大した問題ではない」いう姿勢の出版社は多いようですね。新評論と平凡社は違って、編集者がチェックして私の間違いを直してくれましたが。

投稿: 三十郎 | 2013年10月24日 (木) 10時18分

はじめまして。野崎訳の問題に関して、下川氏に非があるような意見に驚いていたところ、こちらのブログを見つけました。最近、ウエルベック「素粒子」を読んで、あまりの誤訳の酷さに呆れました。日本人の知的レベルの甚だしい低下を感じます。アマゾンの書評欄に誤訳の指摘を書きましたので、お時間がありましたらご覧下さい。
PS.ロンドン在住時の知人に、D.Holmesという人がいました。初対面の人に対する彼の挨拶は、Nice to meet you. I am Mr. Holmes. Mr. Watson is absent today. でした。

投稿: 元ロンドン市民です。 | 2015年3月17日 (火) 18時31分

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