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2013年10月24日 (木)

下訳について(1)

 野崎歓氏の『赤と黒』の誤訳はあまりにひどい。東大仏文科教授が自分で訳してあんな初歩的な間違いをするはずがない。下訳を使ってチェックしなかったのだろう――という推測は多い。たとえば「赤と黒 誤訳の真相」http://www.englishselftaught.com/akatokuro.htm
 下訳を使ったかどうか?
 私は下訳はやったことがない。「上訳」ならば一度やって閉口した。翻訳会社から、「この翻訳に朱を入れて下さい」とプリントアウトしたものを渡された。これは随分時間がかかったのに報酬は少なかった。間違いだらけで、自分で一から訳し直した方が速かったはずだ。
 以後は下訳に手を入れるという仕事はお断りという方針にした。ほかの翻訳者が下手な訳を出してクライアントの企業や官庁から突き返されると、私が訳し直す。翻訳会社にしてみれば翻訳料の二重払いで大損である。初めの翻訳者には以後注文が行かなくなるのだと思う。私自身の翻訳が突き返されないようにするには、仕事を選ぶ必要がある。先日も機械工学の論文の翻訳を「私には無理です」と断った。
 ふつうに考えれば拙い下訳に手を入れて上手な翻訳にするなんて、手間ばかりかかって難しいと思う。初めから上手な翻訳者が一人で訳した方がずっといいはずだ。書籍の翻訳では事情が違うのだろうか?

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コメント

自分のゼミ生にバイト代を渡して訳させたのでしょうか。ありそうな話です。
(だとしたら東大仏文科の学生のレベルはそんなに低いのでしょうか)
数年前、池袋にあるジュンク堂書店の喫茶室で行われた斎藤兆史氏との対談を聞きに行ったことがあります。
そのときは、志の高い仏文学者という印象でしたので、このような手抜きをするとは意外です。

投稿: ころんぽ | 2013年10月27日 (日) 12時48分

本当に優秀な語学生は、東大でなく東外大に進学すると聞いたことがあります。

投稿: ころんぽ | 2013年10月27日 (日) 12時50分

>本当に優秀な語学生は、東大でなく東外大に進学すると聞いたことがあります。
それはどうかな?昔は東京外語は二期校で東大文系に落ちて行く(早大慶大は授業料が高い)という人が多かった。しかし、確かに外語大は「志の高い語学者」がいて、僕の高校の英語の先生もそうだった。
フランス語は、外語よりも上智の学生の方が会話などはできる、上智では「会話はバカにならなきゃできない」と割り切って徹底的にやらせるからだ――と他の大学の卒業生から聞いたことがあります。

投稿: 三十郎 | 2013年10月27日 (日) 16時11分

こんにちは。
野崎歓は東大仏文科教授ではありません。駒場の表象文化論に所属しています。一般教養のフランス語も担当していますが、あまり親切な講義ではないそうです。わたしは個人的に知っていますが、下訳の問題ではなく、本人の語学力の問題だと思っています。

投稿: 通りがかりの者です | 2013年10月30日 (水) 12時41分

ごめんなさい。
表象文化論の正規のスタッフにはなっていませんでした。
ただし、放送大学では客員教授として表象文化を担当しています。

投稿: 通りがかりの者です | 2013年10月30日 (水) 13時37分

>下訳でなく本人の語学力
恐ろしいことだ。

投稿: 三十郎 | 2013年10月31日 (木) 07時07分

申し訳ありません。再度訂正します。
野崎歓は東京大学大学院総合文化研究科助教授から、2007年に東京大学大学院人文社会系研究科・文学部仏文科准教授に転任。2012年教授になっていました。
お詫びして訂正します。
ところで、M. de Renal を「レナール夫人」と間違えたうえ、夫人がいびきをかくのはまずいだろうと思って「いびき」を「寝息」としたのだろうと下川教授は指摘しています。
しかし、たとえどんなに下訳に間違いがあったとしても自分の訳として出版社に渡すときには、わざわざ原文と照合して訂正するものでしょう。
こんな初歩的なミスを残したままにしておくのは、語学力の問題以外の何物でもありません。
またいびきを寝言と間違えたのは読者をバカにしたものであり、町長夫人だって侯爵令嬢だっていびきぐらいかきます。
本人を知っていると、これらの間違いが単なる下訳の問題ではないとわかるのです。

投稿: 通りがかりの者です | 2013年10月31日 (木) 11時14分

語学力の問題と絡んできますが、野崎歓は「赤と黒」という小説を何も理解していません。
「赤と黒」第1部第15章の真ん中あたりのシーンで、主人公のジュリヤンが夜中の2時にレーナル夫人の部屋を訪れようとしているところを光文社古典新訳文庫「赤と黒(上)」(野崎歓 訳)<第2刷 2008.2.8発行>では次のように訳しています。
「靴は履いていなかった。レナール夫人の寝室の扉で耳を澄ますと、寝息が聞き分けられた。がっかりだった。これでもう、寝室に入らずにすます口実がない。だがいったい、寝室で何をしようというのか?何のあてもなかったし、あてがあったところで、こんなにどぎまぎしているのではとても実行に移せなかっただろう。」
この小説の面白さは、「がっかりした」の部分でしょう。通常なら前の場面からの関連で、レナール氏のいびきに彼は元気づいたとでも書いてもいいところを、がっかりした。
この小説の特徴は恋愛時の矛盾する感情をこれでもかって感じで記述しているところだと思います。
ところが野崎訳だと意味不明の文になります。問題にされているのはレナール氏のいびきのはずなのにいつのまにかレナール夫人の寝息にすり替えられている。
小説をきちんと読むことができたら、こんな間違いはしないはずです。
ここだけ見ても弁護できないくらいの欠陥だらけの翻訳が、どうして「読みやすく瑞々しい新訳」なのか疑問です。
少なくとも、読者は「赤と黒」ではない別の作品を読まされているのですから。

投稿: 通りがかりの者です | 2013年11月 1日 (金) 18時32分

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