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2014年9月15日 (月)

作家

(Twitter)
小谷野敦 @tonton1965
 私はむしろ、沢木とか佐藤優とかが「作家」と名のるのに違和感がある。「ノンフィクション作家」や「評論家」だろう。
 
  なるほど、小谷野敦氏や村上春樹氏なら「作家」と名乗る資格があるだろう。
 私は「作家」という肩書をつけられたことがある。Y市のタウン誌から「エッセイ」を頼まれ、『シャーロック・ホームズの愉しみ方』の宣伝と自慢話を書いた。掲載誌を送ってきたのを見ると、作家と書いてあった。サッカーなら好きだけれど。
 
  地元に縁があって東京で「活躍」している者に書かせたようだ。掲載順を見ると、宇宙開発事業団の幹部が一番偉く、私がその次で、作家だから漫画家の某氏より偉いらしい。
「作家」と言えばやはり小説家で、自称するには芥川賞の候補になるくらいじゃなくてはだめだ。(受賞しなくてもよい。村上氏も小谷野氏も貰い損ねている。)
 他人様が肩書をつけてくれる場合は「翻訳家」が多いようだ。しかし自称する資格はない。生計が成り立たないのだもの。訳書を出したときは、本業(実務「翻訳業」)がおろそかになり収入が大幅に減って困った。
 
 やはり鴻巣友季子氏くらい売れなくてはだめだろう。しかし鴻巣さんも『全身翻訳家』は少々図々しいね。まあ、美人だからいいか。
 
 村上春樹氏は、銀行で「職業は文筆業」と言ったら、「分筆業」と書かれたそうだ。
 
 
 

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2014年9月14日 (日)

チャーチルのお母さん

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 プロフェッショナル・ビューティーズの一人、エドワード7世の愛人の一人だった。

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2014年9月 9日 (火)

親戚ではない

 植村花奈という歌手がいるらしい。
 この人は私の親戚ではない。

 植村隆という記者がいるらしい。
 この人も私の親戚ではない。

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2014年9月 1日 (月)

ドイツ人の砂糖王など

≪三破風観≫事件の冒頭は、巨漢の黒人男性がベイカー街221Bの居間に殴り込みをかけるシーンで始まりますが、冒頭でのいささか黒人蔑視とも言えるホームズの発言に眉をひそめる読者もいるようです。
 この派手な登場シーンと派手な服装でホームズとワトソンを驚かせた黒人男性のスティーブ・ディキシーは英国生まれかもしれませんが、先祖たちはどこから来たのでしょう。英国の奴隷はアフリカから新大陸に連れて行かれ、農園などで働かされているので、本土では目にすることはあまりありません。
 16世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパ人によって1000万人以上のアフリカ黒人が奴隷として新大陸に連れて行かれとされます。なかでも英国による「三角貿易」の犠牲者が多いようです。

 連れて行かれたアフリカ人は主に英国系の砂糖の大農場で働かされたのですが、川北稔著『砂糖の世界史』によれば「砂糖商人の多くは、イギリスに住み着いて、イギリスの上流階級、いわゆるジェントルマン階級の人間として、暮らすようにさえなりました。産業革命がまずイギリスに起こったのも、奴隷や砂糖の商人の富の力によるのだ、と主張する意見もあるくらいです」とあります。このような非人道的な行為がなぜ問題にならなかったのかが不思議ですが、英国に住み着いた砂糖商人たちはジョージ3世(在位1760年-1820年)が驚くような贅沢な生活をしていたと言うだけでなく、一時期は自分たちの仲間の国会議員を40人以上も抱え、政治の世界で大きな発言力を持っていたので、「奴隷交易」が問題にされなかったようです。( pp.107,108 )

(ドイツは寒冷地作物である砂糖だいこん(甜菜)を使った砂糖生産を始め)、1860年代には砂糖の輸入国から輸出国に転換したのです。砂糖の大増産時代に事業を行い巨万の富を得たのが「つれない美女」のイザドラ・クラインの亡き夫、「ドイツ人の砂糖王」と言われた老クラインです。
 三破風館事件は人気のない作品ですが、「世界商品」として世界を変えた「砂糖」から見ると、砂糖きびから砂糖を作らされたアフリカ系黒人奴隷の末裔と、甜菜糖によって巨万の富を得たドイツ男性の未亡人が、世界で砂糖の消費が一番である英国のメイドを仲介人として結びついた事件なのがとても興味深いです。(p.p 108, 109 )

 どうも、すごいですね。シャーロキアンとしてうらやましい。世界商品としての砂糖か。これは自分が書くべきだったと思った。
 ところが、ずっと見てゆくと、158ページに白いウェディングドレスを着た関矢悦子さんの著者近影が出ている。これはとうてい真似できない。白いウェディングドレスは1840年2月10日にヴィクトリア女王がアルバート公との結婚式にはじめて着たのを下々が真似して広まったのだそうだ。

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 初めから読み直してみると、特に「ヴィクトリア朝英国の食卓」についての記述は微に入り細をうがち研究が行き届いて脱帽するしかない出来栄えである。
  敢えて望蜀の感を言えば、正典の引用に日暮雅通訳を使っておられることである。延原謙以来の翻訳には誤訳が多々残っているのは私が指摘してきたことである。『バスカヴィル家の犬』の登場人物をチャールズ卿、ヘンリー卿とするのは間違いで、サー・チャールズ、サー・ヘンリーでなければならない。
 関矢さんは『サミュエル・ピープスの日記』という珍しい文献を誤訳をただしつつ引用しておれるのに。肝心の正典はご自分で翻訳されるべきであった。日暮訳では、「日暮れてまさに道遠し」である。

 日本では、公家は「定家卿」「俊成卿」などという。武家は「信長公」「頼朝公」「清正公」である。オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレー』にはヘンリー卿が出てくるが、原文がLord Henryである。ファーストネームにLordをつけて呼ぶこともあるらしい。バックウォーター卿やソルタイヤ卿は、ファーストネームではあるまい。Lordをつけて呼ぶための名前である。「定家卿」や「頼朝公」は歴史的人物を論じるための言い方である。「頼朝公十三歳のみぎりのしゃれこうべ」など、江戸時代にできたのではあるまいか。家来が「信長公」と呼びかけたりしてはお手討ちになる。「信長公記(しんちょうこうき)」は史書である。細川護煕氏の祖先は「清正公(せいしょうこう)様」の位牌を先頭に立てて熊本にお国入りし、人心収攬をはかったという。
 
 

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