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2014年11月15日 (土)

ハエとハエとり壷(2)


 

『ガンディーと使徒たち』の訳者あとがきの一部。

 著者ヴェド・メータは、1934年に英領インドのパンジャーブ州ラホールで生まれた。父親は英国で医学教育を受けた高級官僚だった。インドの独立は、メータが13歳の時である。メータ家はヒンドゥー教徒であるから、パキスタン領となったラホールから難民となって逃れた。本書の難民の描写は、著者の個人的体験に裏づけられている。当時の体験は、自伝の一部The Ledge Between the Streams(『川の中の岩礁』1984)に描かれている。
 メータは四歳の誕生日直前に髄膜炎を患い、視力を完全に失った。本書を書くには「四感を最大限に動員」し、同行者の視覚を借りたのである。膨大な資料はすべてamanuensisに朗読してもらったという。この単語は辞書には「筆記者」とあるが、目の不自由な人が学業や著作を行うための助手である。メータはamanuenses(複数)に頼って、カリフォルニアのポモナ大学、オックスフォード大学、ハーバード大学大学院を卒業し、口述筆記で25冊の本を書いている。
 メータの著作には二系列がある。一つは彼がContinents of Exile(流謫の大陸)と呼ぶ一連の自伝的著作で、もう一つは本書を含めた一般の著作である。後者では、メータは自分が盲目であることに一切触れていない。しかし、彼の本は自伝的著作を含めて過半がニューヨーカーに連載されたから、英語の読者はよく知っていることなのである。
 メータは1961年から1994年までニューヨーカーのスタッフ・ライターであった。これは編集部員ではなく、基本的にはフリーランスの作家である。編集部内に個室を提供され(メータの場合には助手がついた)、著作は最初にニューヨーカーに載せるという契約を結ぶだけである。
 1952年から87年まで、ニューヨーカーの編集長はウィリアム・ショーンであった(謝辞に彼の名をあげている)。ショーンは商業主義を排し、インド、言語学、神学、哲学などの地味な主題でメータに自由に書かせた。本書の前に書いた『ポートレート・オブ・インディア』は67年から3年がかりで連載された。オックスフォード言語哲学を主題に『ハエとハエ取り壺』(みすず書房)を書くように奨めたのはショーンで、この本はベストセラーになった。メータは〈流謫の大陸〉の一部として書いたRemembering Mr. Shawn’s New Yorker(『ミスター・ショーンのニューヨーカー』1998)で、彼の「見えざる編集の業」(副題The Invisible Art of Editing)を偲んでいる。

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