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2015年4月12日 (日)

アーミーコーチ再々論

『シャーロック・ホームズの愉しみ方』を読んだ人から手紙をもらった。まだ売れているのはうれしいが手紙を読んでみると、とんでもない誤解があるようだ。
 この本で、私はシャーロック・ホームズの宿敵、モリアーティ元教授の職業「アーミーコーチ」が「軍人の家庭教師」などではなく、「陸軍士官学校受験予備校の教師」であることを明らかにした。
 ところが、私が受け取った手紙には、陸士受験予備校の教師という訳語は、笹野史隆氏の『コナン・ドイル小説全集』(120部限定、私家版)に収める『最後の事件』の翻訳にすでに使われているぞ、お前は笹野訳をこっそり読んでいながら知らん振りをして自分が正しい訳語を発見したようなことを書いているではないかーーーとあった。
『シャーロック・ホームズの愉しみ方』は2011年9月に刊行された。その時点で笹野史隆氏のホームズ訳はすでに出版されていたようだ。
 しかし、「陸士受験予備校の教師」説を世界で初めて唱えたのは、私である。他人の訳語を盗用などはしない。
『シャーロック・ホームズの愉しみ方』は、書き下しではない。この「翻訳blog」に連載していたものをまとめたのである。
 モリアーティ教授が予備校教師だったことは、2006年4月に私が「モリアーティ元教授の職業(1)-(5)」という題で本ブログに書いたのが正真正銘、世界初である。
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/1_cc65.html
 私は、そのうちにシャーロック・ホームズ正典の訳を出したいと思っている。その際は、笹野氏の翻訳を入手して参考にさせていただくつもりだ。笹野訳に正しい訳語があれば、無断で自分の翻訳に使うだろう。これは倫理的に何ら問題がないことである。翻訳というものは、後で訳したほうが前の訳を参考にできるから必ずよくなるはずだ。I田D作先生曰く「翻訳はだんだんよくなる法華の太鼓でなければなりません」。『シャーロック・ホームズの愉しみ方』では、「現在入手できる翻訳では一番古い延原訳が最も優れている」と書いた。笹野氏以外の「新訳」の訳者は怠けていたのである。
 翻訳そのものではなく「翻訳論」で、すでに出ている翻訳を読んでいながら知らん振りをすれば、盗作である。私に手紙をくれた読者が早とちりしたのも無理はないか。
 しかし、繰り返すが、アーミーコーチが「陸軍士官学校受験予備校の教師」であることは、私が世界で初めて明らかにしたのである。

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2015年4月11日 (土)

オペラ歌手ではない

 
 またホームズを復活させるまでのあいだ、ACDは妻以外の女性と恋に落ちた。若くて美しいスコットランド人のオペラ歌手ジーン・レッキーのことを、母親やごく親しい友人には話している。社会的にも知的レベルでもACDと対等であるリッキーは、彼にとって人生でもっとも愛すべき存在になった。だが骨の髄までヴィクトリア朝の紳士であるACDは、妻を裏切ることはできなかった。(上の本p.55)
 ジーン・レッキー(この本ではリッキーと混在しているがレッキーに統一する)は、オペラ歌手ではなかった。オペラ歌手といえば、「かのいかがわしき記憶に残る」故アイリーン・アドラーと同じ職業ではないか。ジーンはadventuressではなかった。1897年、38歳で病妻を抱えたドイルと24歳の処女ジーンが出会って、1907年に結婚するまで10年間純愛を貫いたのである。
 ジーンは美しいメゾソプラノの声を持っていたが、音楽は良家の子女の嗜みとしてやっていたので、職業ではなかった。はじめて会ってしばらくして、ドイルは彼女がコンサートでベートーヴェンのスコットランド歌曲を歌うのを聞いている。
 これは翻訳の間違いではなく、原文が間違っているのだろう。
 ところが、訳者が作った「シャーロック・ホームズ関係年表」では、1907年に「ドイル、三人の子を持つジーン・レッキーと再婚」とある。
 ジーンはドイルと結婚して3人の子供をもうけたのである。これが彼女には最初の結婚で、子持ちではなかった。

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