ショルトーの正体(5)
コナン・ドイルは、オスカー・ワイルドだけでなく、ワイルドの敵のクイーンズベリー侯爵とも因縁があった。二人ともボクシングの熱心なパトロンだった。当時の上中流階級では少数派だったから、知り合いだった。
ドイルは自身ボクシングをたしなみ、前に「シャーロック・ホームズの階級」http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/1-6a46.htmlで紹介した『クロックスリーの王者』(コナン・ドイル傑作選Iに収録)やベアナックル・ボクシングを扱った『ロドニー・ストーン』をはじめ多くのボクシング小説を書いている。
クイーンズベリー侯爵は1867年に定められたクイーンズベリー・ルールで有名だ。このルールによって、グローブ着用、3分1ラウンド制、10秒のダウンでノックアウト、レスリング行為(クリンチからの攻撃)の全面的禁止など、現代ボクシングの基礎が作られた。
第9代クイーンズベリー侯爵(1844-1900)はスコットランドの貴族だった。
彼はボクシングのほかに乗馬や狐狩りにも熱心で競走馬も何頭か所有していた。彼は1872年に上院議員に選ばれたが、1880年になって英国君主へのキリスト教方式による忠誠の誓いを拒否して大問題を起こした。彼は熱心に無神論をとなえた上に、ボクシングなどという下品なスポーツに肩入れしたので貴族の間では評判が悪かった。
アルフレッド・ダグラスはこの侯爵の三男だった。息子のアルフレッド・ダグラスと父親の侯爵ジョン・ショルトー・ダグラスは性格も見た目もずいぶん違った。
『四人の署名』に出てくるショルトーは、サディアスよりもその父親が問題なのではないだろうか。ジョン・ショルトー少佐は、ワトソンの妻メアリーの父親モースタン大尉の死に関わりがあった。メアリーはジョン・ショルトーの名を思い出したくないので、夫をジョンと呼ばなかったくらいだ。
メアリーはJohn H. Watsonのスコットランド風のミドルネームHamishをわざわざイングランド風に直して「ジェームズ」と呼んでいた。
この点については、ドロシー・セイヤーズ女史の『ドクター・ワトソンのクリスチャン・ネーム』を私が訳しているので、ご覧ください。
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/post_b26f.html
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