柔道か柔術か(23)
日本近代文学の起源に限らず、何でも起源というものは見えにくくなる。
だからウィキペディアの「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」のような空想的記事が大手を振ってまかり通ることになる。
英語版のウィキペディアもデタラメである。Catch wrestlingという項目があって、日本語版の「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」とよく似た内容が書いてある。カール・ゴッチが猪木、藤波、ヒロマツダ、佐山聡、藤原喜明、前田日明などを教えた、なんてことまで書いてあります。いったいに英語版ウィキペディアの格闘技関係はむやみに日本のことに詳しくて、猪木以下のレスラーはそれぞれ独立の項目になっている。
Catch wrestlingも、まったく空想である。英語版ウィキペディアの編集者はさすがにセンスがあって
This article does not cite any references or sources. (October 2007)
と注意書きを付している。「空想で記事書く、よくありません。典拠示すよろし」ということです。
文献の証拠を示さなくてもよいのなら、何でもでっち上げることができる。
柔道や剣道の韓国起源説などがその最たるものです。
judoは「ユド」という発音でウリナラのものなんだって。剣道は「コムド」だそうです。悪意で外国人をだまそうというよりは、韓国人自身が本気で信じ込んでいるようだ。
どうしてそういう妄想におちいるのか?
1970年に漢字を全廃したことが大きいと思う。むかしの文献が読めなくなった。古い文献は漢文だから読むにはそれなりにスキルがいるけれども、大韓民国成立後に書かれたものまで全部読めなくなったのだからひどい。
テコンドーなどは韓国起源をでっち上げて、とうとうオリンピック種目にしてしまった。文献が読めないものだから、こういうことをして恬として恥じないのだ。
話が逸れた。英国のキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの場合も同じだ。文献の証拠が大切だと言いたいのです。
百年前の文献を丁寧に調べれば、分かってくるはずだ。
(1)20世紀はじめには、キャッチ・アズ・キャッチ・キャン=フリースタイルのレスリングがプロレスとして行われていた。
(2)力づくでフォールを狙うレスリングで、なかなか勝負がつかなかった(漱石が見て「西洋の相撲なんて頗る間の抜けたものだよ」とあきれた)。
(3)タニ・ユキオをはじめとする柔術家が異種格闘技戦を挑んで、絞め技、関節技でギブアップを狙うという戦い方を始めた。
(4)それまではプロレスにサブミッション・レスリングという考え方がなかった。
(5)プロレスは第一次大戦(1914-19)でいったん廃れたが、戦後復活するときに、対柔術戦からサブミッションを取り入れた。
(6)ビリー・ライリーのスネークピットというジムで、グレコローマン、フリースタイル、柔術の三要素を取り入れたレスリングを教えた――というのはだいたい正しいだろう。
(7)しかし「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」とは、スネークピットのレスリングではなく、フリースタイルのことである。
以上はあくまで仮説である。しかし前に言ったように、手間さえ厭わなければ検証できるはずだと思う。あるいは反対の証拠が見つかる(反証される)かも知れない。
私が特に強調したいのは上の(3)(4)あたりである。20世紀初頭の英国のレスラーたちが関節技でギブアップを狙うという戦い方を知っていたのならば、体重が57kgに満たない「ちっぽけなジャップ」が連戦連勝できるはずがないではないか。
前田日明はカール・ゴッチの関節技がものすごいことを語って、西洋中世の騎士たちが(日本の戦国武者のように)組み討ちをして関節を極める戦いをしたのだろう――という推測をしている。
プロレスの技術論ならば私などが口を差し挟む余地はない。しかし、この話に関する限り、前田さんの勘違いでしょう。
西洋中世にも剣術、弓術、槍術、馬術などはあり、文献がいくらでも残っているはずだ。しかし、西洋には柔術に相当するもの、すなわち鎧武者同士の組み討ち術はなかった。だからこそJiujitsuという日本語がそのまま使われたのだ。Jiujitsuと自分の名前を合成してBartitsuなんてのを作る者も出てきた。
そして、シャーロック・ホームズは日本のバリツのおかげでモリアーティ教授の魔手から逃れたのである。
サブミッション・レスリングの柔術起源説は、丁寧に調べれば文献で実証できるかも知れない。
あるいは実証できない(文献がない)かも知れない。
レスリングには、ボクシングと違って、アーサー・コナン・ドイルやクィンズベリー侯爵のような社会的地位の高い支持者がいなかったことが大きい。(続く)
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