2006年3月27日 (月)

官僚も松下政経塾も信用できないが――政治家の資質について

 どういう人が政治家としてふさわしいのだろうか? 
 今回の永田議員や西澤孝をめぐる騒動であらためてこれを考えた。(永田君、決闘しよう 参照)
 といっても、私自身、政治にそれほど関心があるわけではない。自分で政治家になろうなんて、もちろん考えたことがないし、政治家の知り合いもいない。

 政治家というのは普通の人では駄目だろうと思う。
 むかし、京極純一教授の政治学の講義を聴いたことを思い出す。

 京極先生はたしかこうおっしゃったと思う。
「諸君の大部分は政治家にはなれない。私(京極)も政治家にはなれない」
 なぜ政治家になれないかというと、まず第一に
「政治家というのは、モノ疲れ、コト疲れ、ヒト疲れしない人間でなければいけない。たいていの人はこの点で政治家失格である」

 政治家というのは、まず異常にタフでなければやって行けない。
 普通の人なら、一日に何十人もの人と名刺交換したり握手したりする生活をすれば、すぐ神経が参ってしまうだろう。そういうことが平気である、むしろ快感であるという体質が、政治家の資質としてはsine qua nonである。
 
 その上で、さらにどのような資質が必要か。そのような資質は、どのような経歴を積むことによってはぐくまれるのか。
 
 というようなことを考えるために、今回問題になっている方々の経歴を見てみよう。インターネット上で利用できるフリー百科辞典、ウィキペディアの記事を引用する。
 どなたがお書きになったのか、なかなかよくできている。筆が立つ人はいるものだ。
 まず永田議員。以下ウィキペディアの記述です。とびとびに引用する。

永田 寿康(ながた ひさやす、男性、昭和44年(1969年)9月2日 - )は、平成期の日本の政治家。衆議院議員(3期)。愛知県名古屋市出身。

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衆議院議員 永田 寿康
生年月日 昭和44年(1969年)9月2日
出身地 愛知県名古屋市
最終学歴 東京大学工学部
学位 工学士
前職 衆議院議員秘書
国家公務員(大蔵省)
現職 衆・
世襲の有無 無
選挙区 比例南関東ブロック(千葉2区)
当選回数 3回
所属党派 (民主党→)
無所属(党籍停止)
党現職 -
会館号室 衆・第1議員会館435号室
ウェブサイト 民主党 永田ひさやす : オフィシャルサイト

平成の爆弾男
2000年11月20日、国会壇上の松浪健四郎議員(当時)から水を浴びせかけられている。一部では永田が松浪議員に「(扇千景と)何発やったんだ?」と野次を飛ばしたことが原因との情報が流れたが、永田自身は「最前列で森喜朗首相ではだめだと何度かやじり、そのたびに松浪議員からにらまれた」という。

 2005年12月18日、八千代市内での国政報告会で耐震強度偽装問題に触れ、「住民は火をつけたくてしょうがない、阪神大震災では激甚災害指定欲しさに被災者が火をつけてまわった」等と発言。発言内容を完全録音したCD-ROMを入手した東京スポーツの取材に対し、事実を認め謝罪した(東京スポーツ2006年1月8日付1面)。

 ウィキペディアはこう書いているのだが、本当だろうか? あまりにひどいのでちょっと信じられないのだが。何だか、こうしてコピーするだけで私の品位(笑)に関わるような気がする。しかし怪しい「格闘家」西澤孝とコンビを組むにはちょうどいいくらいだという感じもする。

 次は前原誠司さん。これもウィキペディアから

前原 誠司(まえはら せいじ、男性、昭和37年(1962年)4月30日 - )は、平成期における日本の政治家。衆議院議員(5期)。京都府京都市左京区出身。民主党代表。松下政経塾第8期生。

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衆議院議員 前原 誠司
生年月日 昭和37年(1962年)4月30日
出身地 京都府京都市左京区
最終学歴 京都大学法学部卒業
学位 法学士
前職 京都府議会議員
現職 衆・国家基本政策委員会委員
世襲の有無 無
選挙区 京都2区
当選回数 5回
所属党派 民主党(前原グループ)
党現職 代表
京都府総支部連合会常任顧問
会館号室 衆・第1議員会館601号室
ウェブサイト 前原誠司-ホームページ-

 京大受験に失敗し浪人時代に偶然立ち読みした本(高坂正堯 著『国際政治』)により国際政治における"歴史上のプレーヤー"に憧れることになる。師にあたる高坂正堯京大教授の「外交官は京大出身では偉くなれない」「学者になるほど頭はよくない」「大学院に行くつもりで松下政経塾に行ってこい」とのアドバイスで政治家としての道を志すことになる。

 1993年の第40回衆議院議員総選挙で日本新党から立候補して初当選、以後民主の風(院内会派)、新党さきがけ、民主党に在籍する。

 選挙区民の間ではもう少し苦労が必要との声が絶えない。特に平成8年(1996年)の衆議院選挙に比例代表で当選して以来、その声は内なる声として選挙区中に内包されている。平成8年以前の前原が常日頃言っていた事は、「政権政党に入らなければ、自分の政策が実現できない」ということであり、この考え方は彼の根本に根ざしているものである。その時々の世論の動向にあわせて様々な政党を渡り歩いてきたことは、まさにその表れといえよう。ただ、選挙区民の期待として、「もう少し選挙で苦労して、自己の政治的バックボーンを確立する必要がある」という声があるのも事実である。

 前原の代表就任には、民主党が一気に代表を若返らせたことから、読売新聞などの巨大メディアが、“新代表はジャニーズ系”、“永田町の郷ひろみ”と報じ、話題を呼んだ。

 どうも、やれやれという感じですね。

 それでは、もと官僚や松下政経塾でないとすると、どういう経歴があり得るか?
 たとえば、小泉純一郎首相は、これもウィキペディアを引用すると、次のような経歴です。

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 小泉純一郎
生年月日 昭和17年(1942年)1月8日
出身地 神奈川県横須賀市
最終学歴 慶應義塾大学経済学部
学位 経済学士
前職 書生(会社員)
現職 内閣総理大臣
世襲の有無 3世
祖父・小泉又次郎(衆議院議員)
父・小泉純也(衆議院議員)
選挙区 神奈川11区
当選回数 11回
所属党派 自由民主党(無派閥 - 森派)
※党三役は派閥離脱
党現職 総裁
会館号室 衆・第1議員会館327号室
ウェブサイト 首相官邸

1942年1月8日 - 神奈川県横須賀市に小泉純也 芳江の長男としてうまれる。
1960年3月 - 神奈川県立横須賀高等学校を卒業。
1962年4月 - 慶應義塾大学経済学部に入学。
1967年5月 - 同大学を卒業。
1967年 - ロンドン大学へ遊学(1964年からとする説もある)。
1969年 - 父純也の死亡に伴い急遽帰国、衆議院議員選挙に立候補するも落選。福田赳夫の自宅で書生となる。
1972年12月 - 前回の雪辱を果たし衆議院議員に初当選、以後連続当選。厚生大臣、郵政大臣などを歴任する。
~1974年11月 - 会社員(厚生年金にも加入)として勤務。
1979年 - 大蔵政務次官に就任。(大平正芳内閣)
1988年 - 厚生大臣に就任。(竹下登内閣)
1992年 - 郵政大臣に就任。(宮澤喜一内閣)
1995年 - 自民党総裁選に出馬。橋本龍太郎に敗れる。
1996年 - 厚生大臣に就任。(第二次橋本龍太郎内閣)
1998年 - 自民党総裁選に出馬。小渕恵三に敗れる。
         清和会(森派)会長に就任。
2001年4月24日 - 3度目の挑戦で、自民党総裁に選出される。
2001年4月26日 - 高支持率で第87代内閣総理大臣に就任。

  祖父と父が政治家ならば、もちろん松下政経塾などに入る必要はない。無理に東大へ行って官僚になる必要もないだろう。
 しかし世襲ならば安心かというと、無論そんなことはない。祖父と父が政治家であるのは小泉氏の責任ではないが、そういう経歴でなければ政治家になりにくいというのも少し困るだろう。

 昔の政治家はどういう経歴だったか? 日本の初代首相は1885年(明治18年)に就任した伊藤博文(1841-1909)である。
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 経歴はご存じの通り。周防国の百姓の長男として生まれ、松下村塾に学び、攘夷の志士として奔走した。白刃の下をくぐってきたのであって、現代の政治家とは鍛え方が違うだろう。
 女好きで有名で、現代ならかなりの騒ぎになってるだろう。宇野宗佑氏などとは比べものにならない。
 しかし、そんなことはもちろん問題にならない。夏目漱石の前の千円札に肖像が使われるだけの実績は十分に上げているのだから。

 しかし、現代の政治家に伊藤博文のような特別の経歴、特別の資質を求めるわけにも行かない。もう少し、普通の人ではないとしても、普通に近い人でなければいけない。

 どういう人を政治家にすればいいのだろう?

4月1日付記
 前原誠司氏の代表辞任会見を見て驚いたのは、彼の表情だ。普通なら悄然とするものだが、まるで「颯爽としている」と言ってもよいくらいだった。
 小泉首相が「前原さんはまだ若いのだから、これからも大いに活躍してもらわなくては」とお世辞を言った。ひょっとしたら前原さん本人が本気で「これからも大いに活躍」するつもりなのではないか? 恐ろしいことだ。

 普通じゃないのは民主党だけではない。
 橋本龍太郎氏が中国を訪問した。どういうつもりか。
 私が胡錦涛ならどうするか?
 まず「橋本閣下、お友達の村岡さんが無罪になられたそうで、おめでとうございます。これから閣下も大変かも知れませんが、頑張ってください」と激励する。
 橋本さんのことだから、これくらいではあの冷静な顔を崩さないかな。
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 それなら
「その節は私どもの公安部の某が大変お世話になりました。彼女もおかげさまで元気でやっております」と言う。
 この二つは実際に胡錦涛本人じゃなくても中国側としては絶対に言うと思う。

  昔の政治家ならどうだろう? 伊藤博文……………司馬遼太郎…………

 ……の部分はご自分でお考え下さい。私は説教は苦手なので。でも、『坂の上の雲』を読んだ人なら、だいたい同じことを考えるはずだ。
 もしあの時代の政治家が今みたいだったら、このブログもロシア語になっていたかも知れない。 

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2006年3月25日 (土)

永田議員、西澤孝でアクセス急増、御礼

 これに味を占めて政治経済ブログに変身するつもりは、ありません。
 また迂遠な話題ばっかりに戻ります。よろしく。
                             三十郎拝

  しかし、「永田君、決闘しよう」は、ちょっと自慢の記事です。見てください。

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2006年3月22日 (水)

なぜ西澤孝の名前を出さないんだ?

 今日、永田議員が国会で「弁明」したらしい。弁明にも何もなっていない、アホらしい、まともに相手にするに足りないことは言うまでもない。常識が通用するような人ではないのだ。

Nagata

 それはいいとして、よく分からないのは、新聞やテレビがいまだに「情報仲介者」などというだけで、西澤孝という実名を出さないことだ。

 西澤孝の名前は、週刊誌が2月中から書いているではないか。
 西澤という名前は知らないような「振りをする」のは何故だ。
 永田議員なり民主党なりがこれを隠そうとするのは理解できる。保身があり党利党略があるのは当然だ。

 私は朝日新聞を取っているが、紙面で西澤孝の名前を見た覚えはない。讀賣や毎日など、ほかの新聞に載っているかというと、そんなことはないようだ。(2月、3月の新聞をすべて調べて確認するつもりはない。もし私の間違いなら、どなたか指摘して欲しい。)

 これはどういうことだ? 仮に週刊誌は見ない、インターネットも一切見ないとしたら、さっぱり分からんではないか。新聞が共謀して、ニュースがあるのに、まるでないような振りをしているのはどういうことだ。
 仮に朝日新聞が世論を一定の方向に誘導しようとして意図的に事実を隠しているのなら、まだ話は分かる。
 しかし、そういうことではないらしい。新聞は報道という使命を放棄したのか。
 というようなことを、何なら朝日の「編集方針」に合わせて西澤孝の実名は省いて書いて投書欄に投稿してみたいのだが、無駄であろう。載るはずがない。
 今日の朝刊の投書欄を見ると、たとえば長野県上田市の無職、池田閨一さん69歳という人が「上を向いて歩こうは私の人生の応援歌であった」という趣旨のことを書いておられる。
 まことに結構な話である。しかし上田さんがお孫さんにお語りになればよいので、なぜ私が読まなければならないか分からない。
 朝日をやめて毎日なり讀賣なりにしたって同じことだろう。
 どうも、こういうのを見ていると、日本人というのは馬鹿なんじゃないかと思うね。

永田君、決闘しよう」も見てください。

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2006年3月 3日 (金)

永田君、決闘しよう

 昔(19世紀前半くらいまで)のイギリスだったら、今回のような問題はどうなっていただろうか? 簡単だ。決闘に決まっている。
 武部さんが永田さんに決闘を申し込む。
 英語ではsatisfactionという字を使うことが多い。
 "I demand satisfaction."と言って、手袋を投げつける。
 しかし日本語では「永田君、決闘しよう」くらいだろう。手袋は省略してもよい。
 永田議員は受けざるを得ない。双方に介添人がついて、決闘の場所と日時が決まる。場所はロンドンならハイド・パークと相場が決まっていたものだが、現代の東京ではどこがいいだろう。むつかしい。まず日比谷公園くらいにしておきますか。
 時間は目立たないように早朝5時くらいがいい。まだ暗いうちである。目立たないようになんて、テレビが放っておかないだろう? それはそうだが、どうせ想像なのでテレビの問題はないものとする。
 警察は決闘のことを知っているが、見て見ぬふりをする。
 早起きして、コーヒーとビスケットで腹ごしらえして、日比谷公園へ行く。
 介添人がいて、同じ拳銃を二丁用意している。決闘用の特殊な拳銃である。回転式拳銃は普通六連発であるが、一発ずつしか込めない。

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 拳銃というものは、普通の軍事・警察・犯罪用のものでも、なかなか命中しない。10メートルも離れると人間大の的でも当たらないことが多い。
 決闘用の拳銃が普通のものと異なるのは、ライフルがないことである。rifleという言葉は、日本語でも英語でも間違った使い方をする人が多い。rifle=小銃だと思っている人が多いが、違います。
 銃身や砲身の内面にほどこした螺旋状の浅い溝がライフルである。この溝で弾丸に回転を与え、まっすぐ飛ばす。これは拳銃から大砲まで同じである。
 決闘用の拳銃は、このライフルがわざと切ってない。当たりにくくするためで、つまり名誉は満足させたいが、できることなら死にたくないというわけである。
 両者がこのような拳銃を手にして背中合わせに立ち、あらかじめ決められた歩数だけ歩き、振り向いて撃つ。
 たいていの場合、10メートル以上の距離になるし、拳銃が拳銃だから、弾はまず当たらない。当たらなくても一発ずつ撃ち合えばsatisfactionは得られたということにして、チャラにする。
 もちろん、たまには当たってしまうことがある。その場合は死ぬが、それは仕方がない。
 
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 こういう決闘を19世紀前半までのイギリスではしていたようだ。
 たとえば、1829年には時の英国首相ウェリントン公爵(1769-1852)がウィンチェルシー伯爵と決闘している。作法通り十数歩離れて拳銃を一発ずつ撃ち合ったが、どちらもわざと狙いを外したという。
 しかし、ウェリントン公爵はものすごく偉い人だったから、大問題になった。
 どれくらい偉かったか? 英国の首相だったのだが、もちろん小泉首相なんかとは比べものにならない。
 何しろ、1815年6月18日、あのワーテルローの合戦でナポレオン(1769-1821)を破った人である。トラファルガーの海戦(1805)のネルソン(1758-1805)とともに救国の英雄である。その人が首相になっているのである。
 そういう偉い人が人殺しをする可能性のある決闘をした、どうもまずいのではないか、ということでイギリスでは以後だんだん決闘が廃れて行った。
 1840年には、滞英中のルイ・ナポレオン、のちのナポレオン三世(1808-73、在位1852-70)がシャルル・レオン伯爵という人とフランス人同士で決闘しようとしたが、警察が二人を逮捕して中止になった。以前は警察も知って知らぬ振りをしたのに「決闘は違法」ということになってきた。
 1845年、チャールズ・ホーキー中尉とアレクサンダー・シートン大尉が決闘して、大尉の方が死んだのがイギリスでは最後の決闘だそうです。中尉は逮捕され、裁判で有罪になった。

 こうして決闘ができなくなると、名誉の問題に決着を付ける方法が必要になってきた。libelとslander、文書誹毀と口頭誹毀である。
 libelやslanderの裁判が決闘の代わりの役割を果たした。
 1878年には、画家ホイスラー(1834-1903)が批評家ラスキン(1819-1900)を訴えた。絵の悪口を言われたからである。原告が勝訴し、損害賠償として一ファージング(四分の一ペニー)の支払いを得た。ホイスラーは自伝の中にこの一ファージング銅貨の原寸大の挿絵をかかげている。
 1895年には、オスカー・ワイルド(1854-1900)が、ホモセクシュアルの関係にあった友人の父親、クインズベリー侯爵を、侮辱を受けたというのでlibelで刑事告訴した。これはやぶ蛇になって、ワイルドが同性愛罪で下獄することになった。

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 日本の名誉毀損はこの誹毀にあたるが実際は機能していない。

刑法230条
公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。

 今回の場合、国会内の発言は免責されるから、「国会の外で同じことを言ってみろ」といい、名誉毀損で告発すればいいのだが、実際問題として、名誉毀損で懲役3年の実刑になったケースはないでしょう。罰金50万円なんて馬鹿馬鹿しい。
 民事上の不法行為で損害賠償は取れるはずだが、これも数十万円にしかならない。骨折り損である。
 数億円を取って相手を破産させるくらいでないと、決闘の代わりにはならない。何とかならぬものか。

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2006年2月28日 (火)

言葉、言葉、言葉

 永田議員の記者会見にはびっくりした。情けなくなった。日本人に絶望した。
 永田さんは、武部幹事長の息子がホリエモンから3000万円もらったという趣旨の発言をしたのである。事実だと証明できなかったら、深々と頭を下げるだけでは駄目だ。昔ならもちろん切腹だ。
 腹まで切らなくてもいいと思うけれど、少なくとも一つだけ、絶対にしなければならないことがあった。「武部さんの息子が3000万円もらったというのは事実無根でした」とはっきり言うことである。
 これを言わなければ謝罪になんかならない。永田さんの口振りは「メールの真実性の証明はできないが、書かれていた事実そのものについてはなお疑いが残る」というようなことだった。
 一体どういうことだ? 彼が前に言ったことは、事実なのか、事実でないのか、二つに一つのはずだ。
 「一定程度の事実を含んだものかについては調べる」だって? 一定程度ってどれくらいだ? 10パーセントくらいか? 3000万円はもらわなかったが、300万円もらった?

 テレビを見ていて歯がゆかったのは、記者たちがこの点を追求しなかったことだ。本人がどういう心境であるか、なんてことはどうでもいいのだ。
 なぜ、これが分からないのだろう。
 日本人に絶望したというのは、そういうことだ。
 記者会見に出ていたのは、放送局や新聞社などの記者、言葉の専門家のはずだ。彼らが言葉というものを信じていない。言葉なんてどうでもいいと思っている。日本人が言葉を信じていなくて、言葉なんてどうでもいいと思っていて、記者たちはその日本人の代表なのだ。

 しかし、言葉は言葉です。大切なのは気持です。ほんとにそうか?
 言葉なんて一応言ってみるだけのことで、本当のところをちゃんと言い表すことはできない。君と君のガールフレンドの間では、その通りかも知れない。
 しかし、世の中のことは言葉で正確に表現できる、と信じなければ政治なんてやっていられないはずだ。報道なんて成り立たないはずだ
「武部二男は3000万円もらった」という言表は、事実なのか、事実でないのか? 二つに一つのはずだ。繰り返して言うが、なぜこれが分からないのだろう?

 むかし、「外国人に対して恥ずかしい」という言い方があった。久しぶりに思い出した。ほんとに恥ずかしい。
 外国ならどういう展開になったか? 外国ならなんて、お前、外国のことを知っているのかと言われると困る。でも、考えてみることはできるだろう。

 武部幹事長の息子が出てきて、永田議員に対して
「国会の外で同じことをもう一度言ってください。私はすぐに名誉毀損であなたを訴えます。それができなければ直ちに事実無根でした、と言って取り消してください」
 と要求するだろう。
 言葉で何かを表現する。それが事実なのか、事実と異なるのかは、大問題なのだ。外国では大問題なのだ。「外国では」というのは変ですか? では昔の日本ならどうだ。もちろん切腹だ。

 ここまでは28日、テレビ記者会見を見て直後の感想。

 3月1日になって、改めて考えてみると、永田君は要するにバカなのだから仕方がないが、あの記者会見では隣に鳩山幹事長がいたのだから、永田議員が「メールの真実性はともかく、更に事実を調べて……」などと言い出したときにすぐに話を遮って、「彼はいま頭が狂っております。この話は事実無根でした」と訂正しなければ駄目だ。

 武部幹事長はさすがに被害者だから当たり前だがよく分かっている。「誰に何を謝っているか、分からない」「息子が民事刑事で告訴する準備を進めている」 当然だろう。

 みのもんたは偉い。本質が分かっている。ほかのニュースショーでまだ「メールを黒く塗りつぶしたのは云々」などとやっているのは情けない。全く分かっていない。

 荒俣さんが「頭を丸めて遍路に出ろ」と言ったのは正しい。切腹なんかされては迷惑だから、これしかないだろう。

Jyunreiyouhin

 ブログを読んでいて、びっくり仰天したのは「これで灰色決着」などという意見があったことだ。自民と民主のどちらをひいきするかという問題ではないのだ。君自身のことに置き換えて考えてみたまえ。誰かが「某山某男が痴漢をした」と証言して、君が逮捕されたとする。もちろんそんなことはするはずがないから、証拠不十分で釈放される。「あの証言自体は証明できなかったが、まだ疑惑は残る。灰色決着だ」などと言われたらどうする?

お遍路については、http://www.tokushima-kankou.or.jp/pick/hatijyuhati/jyunrei.html

画像をお借りしました。徳島へ行こう。

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