バールのようなもの
バール
(crowbar の略) 棒状の釘抜き。かなてこ。(広辞苑)
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町内会の会合に出たら、年寄から「朝日屋さん」と呼ばれた。
もう一人同じ苗字の人がいるので、区別するためらしい。同姓のこの人は分家で私が本家だが、横溝正史の世界ではないから
「この私は仮にも本家ですよ」
というのは通用しない。
我が家は祖父の代から外に出ていることが多かったのに、分家の人はずっと地元にいるので、向うの方が幅が利く。
江戸時代に分家したらしい。本家の我が家は朝日屋の屋号で商売をやっていたらしい。
江戸時代には、このあたりは天領で代官がおさめていた。
お代官さまが私の先祖に
「朝日屋、おぬしも悪よのう」
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グーグル八分とは、グーグルの基準に該当するページが、グーグルのデータベースから除かれ、グーグルで検索しても内容が表示されない状態になることを村八分になぞらえて呼ぶ言葉である。 グーグルの検閲行為とも言われる。(ウィキペディア)
確かにこういうことはありますね。たとえば中国版グーグルで「天安門事件」を検索しても一切出てこない。グーグルが進出するときに中国政府の検閲を受けるという条件を呑んだらしい。
もちろん日本語でもグーグル八分はある。ウィキペディアに例が挙がっている。
私自身、グーグル八分の被害に遭っていると思う。「思う」というのは証拠がないからだ。グーグルは一種の検閲を行っていることは認めているようだが、その検閲の基準は公表していない。
グーグルに 煙草を吸うな と入力すると、私の書いた
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_92f1.html
がトップに来たものだったが、いつの間にか表示されなくなった。
ヤフーでは、今でもトップである。
Politically incorrectということでグーグル八分にしたのだと思う。反禁煙ファシズムとヒトラーで「合わせ技一本」なのだろう。
グーグルは確かに便利だ。私は英語を書くときに辞書代わりに使って重宝している。しかし梅田某みたいなグーグル万歳はよろしくないね。
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むかし私が高校生のとき、ある先生がこう言った。
「私は日の丸が大好きだ」
「先生、どういうことですか?」
「日本の国旗、日の丸はいいというのだ。特にあの赤い所がよろしい。あの赤をどんどん大きくして行く。真ん中の丸だけでなく、旗一面を……」
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古代ギリシャやローマではまだあぶみがなかったから、本格的な乗馬はできなかったのだ。フン族がヨーロッパに攻め込んで、ヨーロッパ人ははじめて騎兵というものを知った。フン族は馬にあぶみをつけたから、馬上で刀や槍を使い弓を射ることができた。
このフン族と匈奴が同じものかどうか? どちらもモンゴル系で、朝青龍や白鳳の先祖だという説がありますね。
古代支那では匈奴に手こずって、ついには万里の長城を築くまでになった。紀元前の戦国時代には、やはり馬はもっぱら戦車を引かせるのに使っていた。匈奴はあぶみをつけた馬にまたがった騎兵である。これではどうも分が悪いというので、こちらも野蛮人のやり方を取り入れて、馬にまたがって弓を射る戦いをしよう、そのためには奴等のようにズボンをはかなくては――ということを言いだした(紀元前307年)のが趙の君主、武霊王である。いわゆる胡服騎射である。
それまでは、支那人もスカートだった。ローマのような短いのではなくて、裾を引きずるくらいの長いスカートだったようだ。その下にパンツはたぶん履かなかった。それでも歩兵の戦闘や戦車上の戦いには差し支えなかった。しかし馬にまたがるには、下半身がすっぽんぽんでは困る。ズボンを履かなくちゃ。中華の民ともあろうものが蛮夷の真似をしたくない。優雅なスカートを捨ててみっともないズボンなんか履きたくない。しかし背に腹は代えられない。
しかしズボンはあくまで戦闘用の服装で、中華の正装はずっとスカートだった。
ギリシャ・ローマでも支那でも古代都市文明では、馬は戦車を引かせるのに用いられた。
インドでもそうだ。2500年前に書かれたバガヴァッド・ギーター(叙事詩マハーバーラタの一部)の一場面。ただし、この絵自体はそんなに古くない。
バガヴァッド・ギーターは、バンドゥー族の戦士アルジュナと彼の戦車の御者を務める英雄神クリシュナとの長い哲学的対話編である。対話は、パンジャーブのクルクシェートラの平原で、クル族とバンドゥー族の軍勢が王国の支配を求めて戦うべく対峙している場面から始まる。
アルジュナもクリシュナもズボンではない。
乗馬とズボン着用はどうやら中央アジアの野蛮な騎馬民族から始まったらしい。ヨーロッパにズボンが普及したのはいつごろだろう? アジアの騎馬民族がヨーロッパに侵入して乗馬とズボンを教えたのは確からしい。ズボンは便利だから馬に乗らなくても履くようになり、どんどん広まった。そのズボン化に取り残された地域がスコットランドのハイランド(高地)なのだろう。
キルトの下はやはり「履かない」のですね。
高地人 朕の隣でチンを出し
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『ベン・ハー』はカエサル暗殺より少しあとの話である。
紀元26年、ローマ帝国支配時代のユダヤにローマから一人の司令官が派遣される。彼の名前はメッサーラ。メッサーラは任地のエルサレムで幼馴染のベン・ハーとの再会を喜び合う。ベン・ハーは貴族の子でユダヤ人とローマ人ながら2人は強い友情で結ばれていた。……(ウィキペディアより)
チャールトン・ヘストンも「膝丈のスカート」をはいていますね。これでよかったのだ。馬に乗るにはぜひズボンをはかなくてはならないけれど、当時は乗馬の習慣はなく、馬は戦車を引かせるのに使ったのだから。
村上春樹がエッセイで「マラソンの起源の話で不思議に思うのは、どうして42キロも走ったのだろうか、ということだ。馬に乗ればよいのに」という意味のことを書いていた。どうも村上さんも物を知らないね。紀元前5世紀のギリシャでは、馬はほとんど戦車専用だったのだ。戦車が走れるのは道路が整備されたところだけだから、マラトンでは人間が走るしかなかったのだ。
馬に車を引かせるのではなく、乗馬して使うにはアジアから伝わってくる「技術革新」を待つ必要があった。
乗馬して並足で進むには、手綱だけつけて足は両側にぶらりと垂らしていても構わない。ギャロップで走らせるとなると、これでは鞍の上でお尻がはねてとうてい耐えられない。あぶみを付けなければならない。あぶみに足を踏ん張って腰を浮かせ膝の屈伸で衝撃を吸収するのだ。競馬の騎手の「モンキー乗り」のような極端な姿勢は取らなくても、お尻を浮かせる必要はあるのだ。
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スコットランドのキルトはズボンがヨーロッパに伝わる以前の古い服装が残ったのでしょうね。
古代ギリシャにもローマにもまだズボンがなかった。
ソクラテスやプラトンはシーツみたいなものを体に巻き付けていた。
運動には適しない服装だから、オリンピックのときは脱いで全裸でやったらしい。
でも、よくブラブラさせたまま走ったりできたものだ。僕は昔1500mを走っていたけれど、サポーターで押さえていました。
ローマの時代も似たようなものだ。カエサル暗殺の場面。この服装はトーガというもので、だいたい長さ6mの一枚の布を体に巻き付けるのだそうだ。トーガを着るのはローマ市民の特権だった。
しかし、これでは機能的でないので、ふだんはトーガの下着にも用いるチューニックを着ていた。どう見ても膝丈のスカートですね。夏は涼しくてよかっただろうけれど……
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