高島俊男

2012年7月17日 (火)

高島先生の新著

 本屋にはないし、広告も出ないし、アマゾンからはまだ送ってこないし、困ったものだ。
  連合出版ホームページを見ると

目次

    漢字の「慣用音」って何だろう?
    沖積層、沖積平野、洪積世
    漢字と日本語
    だれもがすることはするな
    赤穂とわたし
    母から聞いたこと
    卵の値段命の値段
    森外のドイツの恋人
    『新輯外箚記』
    私の古典
    つまらぬことに興味なし
    償ひの旅
    戦争中の軽井沢
    論語と孔子
    『国語改革を批判する』解説            


「あとがき」より

 ひきつづき第六冊も準備しております。なにとぞよろしくお願い申し上げます。

           二〇一二年五月       高島俊男

Tokyodofair_2

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2011年9月 8日 (木)

高島先生健在

 前々から「黄色い」という言い方に違和感を持っている。「色」という語(名詞)に直接「い」をつけて形容詞にしていることが違和感の理由である。
 通常、名詞に「い」がついて形容詞になることはない。「山い」「花い」などの形容詞がないこと言うまでもない。
 「色い」にしても、現在言えるのはこの「黄色い」と、比較的最近言われるようになった「茶色い」だけである。そのほかは、「空色い」「水色い」「草色い」「チョコレート色い」など皆言わない。「茶色い」につづいて言われ出すのは「桃色い」ではなかろうかという気がする。
 最近、友人たちとの携帯電話メールのやりとりのなかで色の名の話が出た。それでこの「黄色い」についてちょっと書いておこうという気になった。
(『お言葉ですが別巻4』p.135)

 さりげなく自慢している。携帯電話メールのやりとりだって。高島俊男先生は昭和十八年に国民学校に入ったというお年である。
 この「「黄色い」ということば」のほか、「いぎたない」「中華民国牡丹江省……?」「チャリンコ」「「なのる」の意」「女の学校」がむかしの『お言葉ですが』のスタイルである。連載しているのだったら読者がどんどん手紙を寄せただろう。ところが別巻4は一篇を除いて全部書き下ろしである。てっきり講談社の『本』に連載しているものをまとめたものだと思っていた。
 高島先生健在である。買わなければ損。

Okotobabetsu4

目次(全体320頁)

ことばと文字と文章と(120頁)
いぎたない
「黄色い」ということば
中華民国牡丹江省……?
チャリンコ
「なのる」の意
女の学校
富永仲基の画期性
平田篤胤と片山松斎(30頁)
ラバウルの戦犯裁判(55頁)
閔妃殺害(23頁)
昭和十年代外地の日本語教育(50頁)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2010年11月21日 (日)

支那でよろしい

 ということは呉智英氏も高島俊男先生も書いていて、もう誰でも分かっていると思ったが……
 高島先生の本におさめる「『支那』はわるいことばだろうか」を読めばよく分かるはず。

 ところが分かっていない人が多いらしい。最近も新渡戸稲造の『随想録』を読んでびっくりした。

  中国は孔子の賜か

 予、中国に来遊してより、「これ果たして孔孟の国なるか」との疑問は、予の念中に往来し、しかしてこの第一疑問は、さらに他の問題を伴起していわく、「この国の政府は、かの聖人の教訓の精神的果実なりや」。「この国民は、かの賢者の垂教せる主義の論理的結果なりや」と。
(p.110)

 新渡戸稲造の文章を勝手に直したに違いない。
 近ごろは便利だ。こういうのはすぐ調べられる。
国立国会図書館の近代デジタルライブラリーhttp://kindai.ndl.go.jp/index.html で、検索窓に 新渡戸稲造 随想録 と入力すると、明治40年初版の本文を見られる。56頁http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898521

  支那は孔子の賜乎

 予支那に来遊してより、「是れ果たして孔孟の国なる乎」との疑問は、予の念中に往来し、而して此第一疑問は更に他の問題を伴起して曰く、…… 
 
 漢字を仮名に改めるのはよい。凡例に「国名、外国人名、地名、外来語等は現行の表記法に改めた。」とある。これによって、アリストートル→アリストテレスなどとするのも構わぬ。しかし、「中国」は支那の新表記法ではない。
 たちばな出版は『天皇家を語る』『神道のちから』『菜根譚』などを出している。右翼のくせに支那がわるいことばだと思っているのか。
 改変のない箇所はすばらしい。カーライルを読みたくなった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月20日 (木)

漢字検定のアホらしさ

Okotobabetsu3

……ところがこの漢字検定ときては、ただのパズルである。実用的意義はまったくない。こんなものができても、美しく端正な日本語の文章を書くために何の役にも立たない。かえって、ヘンテコリンな文章を書いて失笑されるのがオチだろう。
 どういうばかばかしい問題が出るのか、一つ例をごらんに入れよう。
「列車がに出発するところだった。」
 この傍線部分にふりがなをつけよというのである。
 漢文に「方」が出てくれば、前後の文脈によって「マサニ」と訓読するばあいがある。しかし日本語の現代口語文で、「列車がまさに出発するところ」を「方に出発するところ」と書くことはない。言葉にも文字にも使いどころというものがある。これではムチャクチャである。
(p.14)

 高島俊男対漢字検定では勝負にも何にもならない。高島先生にとっては赤子の手をひねるようなものだ。
 文藝春秋2009年4月号が高島俊男先生に『漢字検定のアホらしさ』を書いてもらったのは、「牛刀をもって鶏を割く」じゃないだろうか。アホらしいことぐらい不肖私でも分かるもの。と思ったけれど、そうでもないらしい。
 財団法人日本漢字能力検定協会のホームページを見てみよう。悪は滅びていないのだ。
http://www.kanken.or.jp/frame/h01.html

 漢検には3つのメリットがあるのだそうで、その第一は

2010年度入試において、「漢検」取得を人物評価、能力評価の基準のひとつとしている大学・短期大学は、 全国で461校1015学部・学科あります。(平成21年12月2日当協会発表)
評価内容は学校によって異なりますが、中には一般入試で「漢検」を評価する学校や、理系の学部で評価対象に採用するところもあります。

 まあ中洲産業大学なんかが漢検を入試に使うのは仕方がないか。

『お言葉ですが……別巻3』は、白川静対藤堂明保論争、和辻哲郎の『澁江抽斎』評など、面白いもの満載。
 とりあえず「高島先生の新しい本が出ました」という報告です。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2010年1月 9日 (土)

させていただきます(1)

「させていただきます」は何といっても鳩山由紀夫さんですね。「鳩山さんのさせていただきますか、させていただきますの鳩山さんか」というほどであった。
 ところがこの前、民主党代表選挙の時にたまたまテレビを見ていたら、期待に反してちっとも言わないんだね。だいぶ笑われたんで、こりゃまずいとやめちゃったのかもしれない。
(p.70)

「民主党代表選挙」というのは10年以上前のことだ。
 高島先生がこれを書いたのは週刊文春1999年11月25日号だった。「キライなことば勢揃い」という題。読者の「キライなことば」のトップに「させていただきます」が来た。
 鳩山由紀夫氏は野党民主党の代表になったのだった。与党は自民党で総理大臣は小渕さんだった。
 しかし、今でも鳩山さんは「させていただきます」と言っているようだ。去年の所信表明演説。
 
「青森県に遊説に参った際、大勢の方々と握手させていただいた中で、私の手を離そうとしない、一人のおばあさんがいらっしゃいました。」

「大きな政府とか小さな政府とか申し上げるその前に、政治には弱い立場の人々、少数の人々の視点が尊重されなければならない。そのことだけは、私の友愛政治の原点として、ここに宣言させていただきます。

 なぜ「させていただく」なんて言うのか? 一説によると、仏教と関係があるのだそうだ。
 遊説に行って大勢の方々と握手したのは、ふつうに考えると政治家が自分の意志で握手したように思えるが、それは違う。すべては阿弥陀如来のお計らいによって握手ということをさせていただいているのである。ありがたい絶対他力の教えなのだ! 南無阿弥陀仏。

Hp185

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月30日 (金)

お言葉ですが…別巻1

 河川協会というところにたのまれて話をしたあと、役員らしい人から突然質問された。
「ミズゴクンは黒田官兵衛の作とも言うし王陽明だとも言いますが、どちらが正しいのですか?」
 なんのことやらわからない。
「ミズゴクン、ですか?」
 キョトンとしていると相手は
「ハハハ、御冗談を」
 小生がとぼけているものと見て(あるいはそうとりなして)笑いにまぎらした。よほど知られたことらしい。
(高島俊男)

90858cdc8cp

 「水五訓」だったのですね。
 黒田官兵衛や王陽明のはずがない。
 だれが言いだしたのだろう? 高島探偵は愛読者数人の応援で昭和初年ごろまでさかのぼり、この通俗人生訓の作者をつきとめる。
 これはWeb草思で読んだのだけれど、インターネットで高島俊男なんて。本でなくちゃ。やはり野におけかな?

 十年以上前の文章も入ってます。『しにか』に書いた「両辞斉放、両典争鳴」など中国語関係のものはさずがにむつかしい。あとからひとことの説明を読まないとわからない。

 高島先生は
「現在はいたって元気、きげんよくすごしております」
 とのことだ。

目次とあとがき

形のない商品
漱石と是公が住んでいたへや)
「本文」とは何だろうね)
歌はみんなのもの
「彼女」はいやだ
「水五訓」の謎
新聞の算用数字
むかしの日本のいくさ馬
むかしの人の年齢
「どこそこ生れ」への疑問
向田邦子の強情
抔土未乾
「唱歌」の足どり
おれなら子供やめたくなる
「冥福」ってなあに?
かならず仲間がいるよ
校について
おかしうて、やがてかなしき和漢語注釈
短歌のふりがな雑感
奇々怪々もろこし裁判ばなし
中国の秘密結社
星を数えて波の音聞いて
ディアボロあがれ
両辞斉放、両典争鳴
没有、不在、不知道
新聞の文章
機械で書いた文章
「上海お春」と鷗外の母
正源寺墓地の人

あとがきは連合出版のホームページで

Okotobabetsu14

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月26日 (土)

座右の名文

 漱石の『坊ちゃん』を、「探偵」小説であり「恋愛」小説である、といったら、「えっ、なんで?」とおおせのかたが多かろう。しかし、たしかにそうなのである。
 まず、「探偵」小説の件からおはなししよう。――「探偵」とカギカッコをつけてあることに御注意くださいね。「探偵」小説といっても、推理小説だというのではない。漱石の大きらいな「探偵」がしきりに出てくる小説だというのである。

――自分の文章のふりをして続きを書きたいところだけれど、だめでしょうね。すぐにばれる。
 高島俊男『座右の名文』文春新書p.95の最初の2段落です。
 続きが読みたい人はすぐに本屋へ。

 漱石論、坊っちゃん論、漱石と探偵論などは、山ほどある。だから、高島先生と似たことを言っている人も、あるいはいるかも知れない。
 でも、「探偵」小説であり「恋愛」小説である――というふうにズバリと書いて、腑に落ちる説明をしてくれる人はほかにいないだろう。

……『坊ちゃん』は、ちょっとわけのわからない、薄気味のわるいようなところのある作品だ……
 こんなことが書いてあるのも、この本だけだと思う。どこがわけがわからなくて薄気味わるいのか、ちゃんと謎解きがあります。上等の探偵小説と同じである。

「不用意の際に人の懐中を抜くのがスリで、不用意の際に人の胸中を釣るのが探偵だ。知らぬ間に雨戸をはずして人の所有品を偸むのが泥棒で、知らぬ間に口を滑らして人の心を読むのが探偵だ。ダンビラを畳の上へ刺して無理に人の金銭を着服するのが強盗で、おどし文句をいやに並べて人の意志を強うるのが探偵だ。だから探偵と云う奴はスリ、泥棒、強盗の一族でとうてい人の風上に置けるものではない。」
 これは、苦沙弥先生の意見である。
 高島俊男という人は、こういう探偵ではない。シャーロック・ホームズのような名探偵である。

 漱石のほかに、新井白石、本居宣長、森鴎外、内藤湖南、幸田露伴、津田左右吉、柳田國男、寺田寅彦、齋藤茂吉が、高島先生の好きな文章家である。
 
   アマゾンにもうカスタマーレビューが出ている。

少しも質が落ちない口述筆記本, 2007/5/25
 素晴らしい本だ。この本はあとがきにあるとおり、高島氏がしゃべり、別の人がそれを筆記したもの。口述筆記は読みやすいが、中身が薄くなり質が落ちるのがふつうだ。しかしこの本は少しも落ちていない。口述筆記だと正直に書いていなかったら私は高島氏自身が書いたものだと思っていただろう。高島氏が目が痛み原稿が書けなくなったという事情によるものだから、他の粗製濫造本とは時間のかけかたが違うのだ。 …………

 話は逸れるが、この評者のあまカラという人がちょっと凄い読書家である。ほかの本のレビューも読んでみてください。たとえば福田恒存の『私の幸福論』のレビュー

……この幸福論の大きな特徴は美醜という問題から書き始めていることだろう。夫に捨てられた妻の身の上相談に、福田氏はその妻の顔を見た上でなければ答えられない、と驚くべきことを書く。ブスに生まれついたことを宿命として受け入れる、そこからでないと幸福論は始まらない、というのだ。これには読者からあまりに救いがない、という反論が届く。それに対して福田氏はさらに答える。この最初のやりとりは本書の白眉である。……

   僕は早速この本を注文しましたね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年12月30日 (土)

『お言葉ですが…』再開

『お言葉ですが…』が再開されます。今度は草思社のWeb草思に載る。掲載開始は来年1月末ごろの予定。
 きのう高島俊男先生からお手紙をいただいたのだ。『お言葉ですが…』を再開して欲しいという読者がたくさんいて、その一人一人に手紙を出されたらしい。手書きをコピーしたものである。

1. 先生が原稿を書いて、編集プロ「アイランズ」の赤岩さんがコンピュータ入力したものをWeb草思に横書きで載せる。ない字は伏字。
2. 別に縦書き印刷版(伏字を手書きで埋める)を作り、希望する人にはこれを郵送する。1回200円。10回ごとに赤岩さんに送る。
101-0051 東京都千代田区神田神保町1-18 三光ビル3階 アイランズ赤岩「お言葉」 Tel 03-5283-3373  Fax 3376

 先生は2について「料金を徴収するというのが気がひける。もっとよい方法があったらご教示ください」とおっしゃる。
 お手紙には私の名前と「お持ちのパソコンで見て下さい。ご意見おきかせ下さい。」が先生のペンで書き添えてあった。

 私は『お言葉ですが…第11巻』を読んで連合出版にメールで感想を送ったのである。全11巻の通巻索引を作った八尾さんから返事をいただいた。すぐに増刷になったという。広告もしないのに売れるのだ。いいものは匂いでかぎつける読者がいるのだ。八尾さんも「みなさんのおかげです」とおっしゃっている。(連合出版のサイトには11巻の正誤表あり。)

 文藝春秋の新年号の巻頭随筆に高島先生の『「にくい」から「づらい」へ』が載ったのだが、一読してちょっと変だなと思った。いつもの先生ではない。調子が違う。はっきり言うと何かが足りない。しかし考えてみるとこれは巻頭随筆なのだ。ほかの執筆者は政治家の加藤紘一氏、全日空社長の大橋洋治氏、歌舞伎俳優の中村吉右衛門氏などである。ここは有名人が顔を見せる場所で、文章なんか下手でもよろしいのだ。高島先生にいつもの調子で快刀乱麻を断ってもらっては迷惑なのだ。
 先生の本領はやはり「本が好き、悪口言うのはもっと好き」というところにあるのでしょうね。『お言葉ですが…第11巻』では「日本の敬語論」の冒頭で珍しく人をほめている。以下引用。

 眼が痛いので人に本を読んでもらってテープで聞いている。
 最近聞いてもっとも痛快だったのは、滝浦真人『日本の敬語論』(2005大修館)であった。敬語研究史である。著者は1962年生まれの若い人。
 テープを聞きながら小生何度も「いいぞ、若武者!」と心中声を発し、時々は録音機をとめて「若くて、頭がよくて、元気のいいやつは気持がいいなあ」とひとしきり嘆息して、またテープをまわした。

「いいぞ、若武者!」だって。ほめるときはこういうふうにほめなくっちゃ。いいなあ。と思ってページをめくると、山田孝雄、金田一京助などを散々にやっつけて、「アハハハ、愉快愉快。」といつもの調子に戻っている。
 悪口を言うだけなら誰にでもできる。下品にならないのがむつかしいのだ。下心がなくて文章がいいから読んで気持がいいのだ。
 Web草思では12月に鳥居民氏の新連載「書冊の山より」が始まった。第1回は清沢洌『暗黒日記』を取り上げている。ほかの連載も充実している。ここに1月から高島先生が加わるのだ。楽しみだなあ。
 

| | コメント (4) | トラックバック (2)

2006年12月13日 (水)

高島俊男先生の本が出た

 高島俊男先生の『お言葉ですが…第11巻』が連合出版から刊行された。新聞などで広告しないから知らなかったが、11月23日に第一刷刊である。
 
 ハードカバーで体裁は文藝春秋から出ていたこれまでの10巻とまったく同じ。表紙にはいままで通り藤枝リュウジさんが高島先生の似顔絵を描いている。
 全11巻の通巻索引が付いている。
 あとがきを一部引用する。

あ と が き
 一九九五年の春に船出した「お言葉ですが…」は、十一年後の二〇〇六年夏にいたるも依然順調航行、書くことはいくらでもあるし、当然まだまだつづくもの、と筆者勝手に楽観していたら、突然中止の通告を受けた。
 「読者のみなさまがお手紙をくださっているあいだは大丈夫、やめさせられることはない」と言い言いし、実際そう思っていた。その読者来信はとぎれることなく来ていたのだが……。
 「なんでやめさせられたんだろう?」と以後考えつづけている。

 ほんとになんでだろう?
 でも、先日の朝日新聞に高島先生のインタビューが出ていて、お元気そうだったし、『お言葉ですが…』をぜひ続けたいと心強いことをおっしゃっていた。
 期待しています。

Takashima

 写真は朔北社のサイトからお借りしました。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006年11月29日 (水)

敬愛なる?ベートーヴェン

Top2_1_1

 第九誕生の裏に、耳の聞こえないベートーヴェンを支えた女性がいた。敬愛なるベートーヴェンというのですが。

 変だ。「敬愛するベートーヴェン」なら分かるけど。
 これは北朝鮮から始まった言い方でしょう。たとえば

南朝鮮のマスコミは、米国の核策動と関連して、問題解決の根本的な鍵が平壌にあり、米国の戦争遂行能力を一瞬のうちに麻痺させられる軍事戦略と領軍術、高度な対米戦略を体現される敬愛なる将軍様がいらっしゃる限り、朝鮮半島でいついかなることが起きて驚かされるかわからないので、心の準備をしっかりとしておくこと

全てのイルクンは、歴史的な6・15共同宣言を準備して下さり、祖国統一の転換的局面を開いて下さった敬愛なる将軍様の偉大さをよく理解し、将軍様の先軍領導を受け、祖国統一の歴史的偉業を成し遂げる闘争において、自己の全戦力と知恵を捧げなければならない

E98791e6ada3e697a5_1

 ものすごい。戦略情報研究所のXファイルという文書です。2006年5月31日付。詳しくはここ
 北朝鮮は漢字を廃止した。ところが大和言葉に当たる「コリア言葉」では用が足りないらしい。どうしても「漢語」(あるいは日本語)が必要なのだけれど、漢字の支えがないから使い方が滅茶苦茶になってしまったのだ。

 しかし朝鮮を笑ってばかりはおれないと思う。手紙の書き出しに使うDearの訳語に「親愛なる」というのがありますね。あれはちょっと怪しい。
 Dear Marylynなら「かわいい/いとしいマリリン」くらいでよろしいが、別にかわいくもいとしくもない場合もあるから仕方なく「親愛なる」という訳語をでっち上げたのでしょう。いつ頃から使い始めたのだろう?
 塩谷温の新字鑑を引いてみると親愛は「したしみいつくしむ」とあって「大学」から例文を引いている。明らかに動詞である。親愛スルは言えるだろうが親愛ナルはどうもインチキである。親密ナルならよろしい。敬愛や親愛だけでなく、○愛の形ではほとんど動詞になるはずである。遺愛 渇愛 割愛 求愛 溺愛 盲愛など。
 このあたりは漢文を引いて縦横に論じたいところだが、そんな教養はないのが遺憾である。
 ついでに、いつも気になっていることをもう一つ。
 Nondisclosureを何と訳しますか? 「不開示」か「非開示」か? 多数決では後者が多いと思うが、開示は動詞のはずである。「開示せず」である。「開示にあらず」なんてナンセンスだと思うのだけれど。
   こういう問題は高島俊男先生に質問してみたいものだが、週刊文春の連載も終わってしまったし、お元気にしておられるだろうか? 
 

| | コメント (2) | トラックバック (9)

より以前の記事一覧