2008年5月30日 (金)

お言葉ですが…別巻1

 河川協会というところにたのまれて話をしたあと、役員らしい人から突然質問された。
「ミズゴクンは黒田官兵衛の作とも言うし王陽明だとも言いますが、どちらが正しいのですか?」
 なんのことやらわからない。
「ミズゴクン、ですか?」
 キョトンとしていると相手は
「ハハハ、御冗談を」
 小生がとぼけているものと見て(あるいはそうとりなして)笑いにまぎらした。よほど知られたことらしい。
(高島俊男)

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 「水五訓」だったのですね。
 黒田官兵衛や王陽明のはずがない。
 だれが言いだしたのだろう? 高島探偵は愛読者数人の応援で昭和初年ごろまでさかのぼり、この通俗人生訓の作者をつきとめる。
 これはWeb草思で読んだのだけれど、インターネットで高島俊男なんて。本でなくちゃ。やはり野におけかな?

 十年以上前の文章も入ってます。『しにか』に書いた「両辞斉放、両典争鳴」など中国語関係のものはさずがにむつかしい。あとからひとことの説明を読まないとわからない。

 高島先生は
「現在はいたって元気、きげんよくすごしております」
 とのことだ。

目次とあとがき

形のない商品
漱石と是公が住んでいたへや)
「本文」とは何だろうね)
歌はみんなのもの
「彼女」はいやだ
「水五訓」の謎
新聞の算用数字
むかしの日本のいくさ馬
むかしの人の年齢
「どこそこ生れ」への疑問
向田邦子の強情
抔土未乾
「唱歌」の足どり
おれなら子供やめたくなる
「冥福」ってなあに?
かならず仲間がいるよ
校について
おかしうて、やがてかなしき和漢語注釈
短歌のふりがな雑感
奇々怪々もろこし裁判ばなし
中国の秘密結社
星を数えて波の音聞いて
ディアボロあがれ
両辞斉放、両典争鳴
没有、不在、不知道
新聞の文章
機械で書いた文章
「上海お春」と鷗外の母
正源寺墓地の人

あとがきは連合出版のホームページで

Okotobabetsu14

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2007年5月26日 (土)

座右の名文

 漱石の『坊ちゃん』を、「探偵」小説であり「恋愛」小説である、といったら、「えっ、なんで?」とおおせのかたが多かろう。しかし、たしかにそうなのである。
 まず、「探偵」小説の件からおはなししよう。――「探偵」とカギカッコをつけてあることに御注意くださいね。「探偵」小説といっても、推理小説だというのではない。漱石の大きらいな「探偵」がしきりに出てくる小説だというのである。

――自分の文章のふりをして続きを書きたいところだけれど、だめでしょうね。すぐにばれる。
 高島俊男『座右の名文』文春新書p.95の最初の2段落です。
 続きが読みたい人はすぐに本屋へ。

 漱石論、坊っちゃん論、漱石と探偵論などは、山ほどある。だから、高島先生と似たことを言っている人も、あるいはいるかも知れない。
 でも、「探偵」小説であり「恋愛」小説である――というふうにズバリと書いて、腑に落ちる説明をしてくれる人はほかにいないだろう。

……『坊ちゃん』は、ちょっとわけのわからない、薄気味のわるいようなところのある作品だ……
 こんなことが書いてあるのも、この本だけだと思う。どこがわけがわからなくて薄気味わるいのか、ちゃんと謎解きがあります。上等の探偵小説と同じである。

「不用意の際に人の懐中を抜くのがスリで、不用意の際に人の胸中を釣るのが探偵だ。知らぬ間に雨戸をはずして人の所有品を偸むのが泥棒で、知らぬ間に口を滑らして人の心を読むのが探偵だ。ダンビラを畳の上へ刺して無理に人の金銭を着服するのが強盗で、おどし文句をいやに並べて人の意志を強うるのが探偵だ。だから探偵と云う奴はスリ、泥棒、強盗の一族でとうてい人の風上に置けるものではない。」
 これは、苦沙弥先生の意見である。
 高島俊男という人は、こういう探偵ではない。シャーロック・ホームズのような名探偵である。

 漱石のほかに、新井白石、本居宣長、森鴎外、内藤湖南、幸田露伴、津田左右吉、柳田國男、寺田寅彦、齋藤茂吉が、高島先生の好きな文章家である。
 
   アマゾンにもうカスタマーレビューが出ている。

少しも質が落ちない口述筆記本, 2007/5/25
 素晴らしい本だ。この本はあとがきにあるとおり、高島氏がしゃべり、別の人がそれを筆記したもの。口述筆記は読みやすいが、中身が薄くなり質が落ちるのがふつうだ。しかしこの本は少しも落ちていない。口述筆記だと正直に書いていなかったら私は高島氏自身が書いたものだと思っていただろう。高島氏が目が痛み原稿が書けなくなったという事情によるものだから、他の粗製濫造本とは時間のかけかたが違うのだ。 …………

 話は逸れるが、この評者のあまカラという人がちょっと凄い読書家である。ほかの本のレビューも読んでみてください。たとえば福田恒存の『私の幸福論』のレビュー

……この幸福論の大きな特徴は美醜という問題から書き始めていることだろう。夫に捨てられた妻の身の上相談に、福田氏はその妻の顔を見た上でなければ答えられない、と驚くべきことを書く。ブスに生まれついたことを宿命として受け入れる、そこからでないと幸福論は始まらない、というのだ。これには読者からあまりに救いがない、という反論が届く。それに対して福田氏はさらに答える。この最初のやりとりは本書の白眉である。……

   僕は早速この本を注文しましたね。

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2006年12月30日 (土)

『お言葉ですが…』再開

『お言葉ですが…』が再開されます。今度は草思社のWeb草思に載る。掲載開始は来年1月末ごろの予定。
 きのう高島俊男先生からお手紙をいただいたのだ。『お言葉ですが…』を再開して欲しいという読者がたくさんいて、その一人一人に手紙を出されたらしい。手書きをコピーしたものである。

1. 先生が原稿を書いて、編集プロ「アイランズ」の赤岩さんがコンピュータ入力したものをWeb草思に横書きで載せる。ない字は伏字。
2. 別に縦書き印刷版(伏字を手書きで埋める)を作り、希望する人にはこれを郵送する。1回200円。10回ごとに赤岩さんに送る。
101-0051 東京都千代田区神田神保町1-18 三光ビル3階 アイランズ赤岩「お言葉」 Tel 03-5283-3373  Fax 3376

 先生は2について「料金を徴収するというのが気がひける。もっとよい方法があったらご教示ください」とおっしゃる。
 お手紙には私の名前と「お持ちのパソコンで見て下さい。ご意見おきかせ下さい。」が先生のペンで書き添えてあった。

 私は『お言葉ですが…第11巻』を読んで連合出版にメールで感想を送ったのである。全11巻の通巻索引を作った八尾さんから返事をいただいた。すぐに増刷になったという。広告もしないのに売れるのだ。いいものは匂いでかぎつける読者がいるのだ。八尾さんも「みなさんのおかげです」とおっしゃっている。(連合出版のサイトには11巻の正誤表あり。)

 文藝春秋の新年号の巻頭随筆に高島先生の『「にくい」から「づらい」へ』が載ったのだが、一読してちょっと変だなと思った。いつもの先生ではない。調子が違う。はっきり言うと何かが足りない。しかし考えてみるとこれは巻頭随筆なのだ。ほかの執筆者は政治家の加藤紘一氏、全日空社長の大橋洋治氏、歌舞伎俳優の中村吉右衛門氏などである。ここは有名人が顔を見せる場所で、文章なんか下手でもよろしいのだ。高島先生にいつもの調子で快刀乱麻を断ってもらっては迷惑なのだ。
 先生の本領はやはり「本が好き、悪口言うのはもっと好き」というところにあるのでしょうね。『お言葉ですが…第11巻』では「日本の敬語論」の冒頭で珍しく人をほめている。以下引用。

 眼が痛いので人に本を読んでもらってテープで聞いている。
 最近聞いてもっとも痛快だったのは、滝浦真人『日本の敬語論』(2005大修館)であった。敬語研究史である。著者は1962年生まれの若い人。
 テープを聞きながら小生何度も「いいぞ、若武者!」と心中声を発し、時々は録音機をとめて「若くて、頭がよくて、元気のいいやつは気持がいいなあ」とひとしきり嘆息して、またテープをまわした。

「いいぞ、若武者!」だって。ほめるときはこういうふうにほめなくっちゃ。いいなあ。と思ってページをめくると、山田孝雄、金田一京助などを散々にやっつけて、「アハハハ、愉快愉快。」といつもの調子に戻っている。
 悪口を言うだけなら誰にでもできる。下品にならないのがむつかしいのだ。下心がなくて文章がいいから読んで気持がいいのだ。
 Web草思では12月に鳥居民氏の新連載「書冊の山より」が始まった。第1回は清沢洌『暗黒日記』を取り上げている。ほかの連載も充実している。ここに1月から高島先生が加わるのだ。楽しみだなあ。
 

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2006年12月13日 (水)

高島俊男先生の本が出た

 高島俊男先生の『お言葉ですが…第11巻』が連合出版から刊行された。新聞などで広告しないから知らなかったが、11月23日に第一刷刊である。
 
 ハードカバーで体裁は文藝春秋から出ていたこれまでの10巻とまったく同じ。表紙にはいままで通り藤枝リュウジさんが高島先生の似顔絵を描いている。
 全11巻の通巻索引が付いている。
 あとがきを一部引用する。

あ と が き
 一九九五年の春に船出した「お言葉ですが…」は、十一年後の二〇〇六年夏にいたるも依然順調航行、書くことはいくらでもあるし、当然まだまだつづくもの、と筆者勝手に楽観していたら、突然中止の通告を受けた。
 「読者のみなさまがお手紙をくださっているあいだは大丈夫、やめさせられることはない」と言い言いし、実際そう思っていた。その読者来信はとぎれることなく来ていたのだが……。
 「なんでやめさせられたんだろう?」と以後考えつづけている。

 ほんとになんでだろう?
 でも、先日の朝日新聞に高島先生のインタビューが出ていて、お元気そうだったし、『お言葉ですが…』をぜひ続けたいと心強いことをおっしゃっていた。
 期待しています。

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 写真は朔北社のサイトからお借りしました。

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2006年11月29日 (水)

敬愛なる?ベートーヴェン

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 第九誕生の裏に、耳の聞こえないベートーヴェンを支えた女性がいた。敬愛なるベートーヴェンというのですが。

 変だ。「敬愛するベートーヴェン」なら分かるけど。
 これは北朝鮮から始まった言い方でしょう。たとえば

南朝鮮のマスコミは、米国の核策動と関連して、問題解決の根本的な鍵が平壌にあり、米国の戦争遂行能力を一瞬のうちに麻痺させられる軍事戦略と領軍術、高度な対米戦略を体現される敬愛なる将軍様がいらっしゃる限り、朝鮮半島でいついかなることが起きて驚かされるかわからないので、心の準備をしっかりとしておくこと

全てのイルクンは、歴史的な6・15共同宣言を準備して下さり、祖国統一の転換的局面を開いて下さった敬愛なる将軍様の偉大さをよく理解し、将軍様の先軍領導を受け、祖国統一の歴史的偉業を成し遂げる闘争において、自己の全戦力と知恵を捧げなければならない

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 ものすごい。戦略情報研究所のXファイルという文書です。2006年5月31日付。詳しくはここ
 北朝鮮は漢字を廃止した。ところが大和言葉に当たる「コリア言葉」では用が足りないらしい。どうしても「漢語」(あるいは日本語)が必要なのだけれど、漢字の支えがないから使い方が滅茶苦茶になってしまったのだ。

 しかし朝鮮を笑ってばかりはおれないと思う。手紙の書き出しに使うDearの訳語に「親愛なる」というのがありますね。あれはちょっと怪しい。
 Dear Marylynなら「かわいい/いとしいマリリン」くらいでよろしいが、別にかわいくもいとしくもない場合もあるから仕方なく「親愛なる」という訳語をでっち上げたのでしょう。いつ頃から使い始めたのだろう?
 塩谷温の新字鑑を引いてみると親愛は「したしみいつくしむ」とあって「大学」から例文を引いている。明らかに動詞である。親愛スルは言えるだろうが親愛ナルはどうもインチキである。親密ナルならよろしい。敬愛や親愛だけでなく、○愛の形ではほとんど動詞になるはずである。遺愛 渇愛 割愛 求愛 溺愛 盲愛など。
 このあたりは漢文を引いて縦横に論じたいところだが、そんな教養はないのが遺憾である。
 ついでに、いつも気になっていることをもう一つ。
 Nondisclosureを何と訳しますか? 「不開示」か「非開示」か? 多数決では後者が多いと思うが、開示は動詞のはずである。「開示せず」である。「開示にあらず」なんてナンセンスだと思うのだけれど。
   こういう問題は高島俊男先生に質問してみたいものだが、週刊文春の連載も終わってしまったし、お元気にしておられるだろうか? 
 

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2006年2月10日 (金)

高島俊男先生

 五十年あまりむかし、毛沢東のことを「けざわあずま」と言って物笑いのタネになった国会議員がいたそうな。
 「井真成【せいしんせい】」はたしかに日本人であるが、しかしこの名前は、この人が唐の都長安で名乗っていた中国名前なのである。つまり名前の点では中国人とおなじなのだ。
 中国人の名前は漢字の音でよむ、というのは日本の常識である。小学生でも関羽を「せきはね」と言ったり張飛を「はりとび」と言ったりする子はいない(と思う)。
 井真成を「いのまなり」と言ったりするのは、その知力小学生以下、けざわあずま国会議員とチョボチョボの、饅頭屋の親父くらいのものかと思っていたら、なんと日本古代史専攻の学者でそう言ったり書いたりしているのがいるんだそうだ。
 饅頭屋にたのまれてチンドン屋を買って出たのかな?
 いっぺん顔が見たいものだ。

 週刊文春の高島俊男先生の連載「お言葉ですが…」522回「井真成という呼び名」の出だしの部分です。2月16日号に載っていますから、あとは買ってお読み下さい。
 しかし、なんと小気味のいい悪態のつきかたなんだろう。この先生はいつでもこういう調子ですね。怖いものがないらしい。週刊文春の編集部も偉いね。日本古代史専攻の学者なんぞはどうでいいが、饅頭屋やチンドン屋が故障を申し入れないだろうか? 「全日本饅頭製造業連盟」か何かが「差別だ」と抗議してきたらどうするんだろう。
 「いっぺん顔が見たいものだ」の次の段落は、
この「井真成」は現代漢語音でXXXX、国際表記では多分YYYYということになるだろう。(XXXXとYYYYはそれぞれローマ字による複雑な発音表記。雑誌を見てください。)日本ではむかしから日本漢字音の漢音で言うのが慣習だから、セイシンセイということになるわけだ。
 と、一転して学問的になる。
 この本論の部分がむつかしくてよく分からないのですね。当方の学がないのがよくないのですが、話が高級すぎる。週刊誌のページでは無理です。次回からもっとやさしい話になるそうです。
 しかし、中国語をやっている人はうらやましいな。英語だと、どうしても土着英語話者には敵わないという意識がある。中国語の場合は、もちろん高島先生のようにしっかり勉強した場合だけれど、中国人の学者が相手でも「あいつは馬鹿だ」と言うことができる。何しろ古典の知識がものをいう言葉だから。
 高島先生の本は、『お言葉ですが…』シリーズのほか、『本が好き、悪口言うのはもっと好き』など何でも読む値打ちがあります。絶対おすすめです。痛快です。

 学識はとうてい敵わないけれど、「本が好き、悪口いうのはもっと好き」という点では、はばかりながら私も同じです。これから私も人の翻訳の悪口を大いに言うつもりです。「翻訳者なんかやめて、饅頭屋かチンドン屋になれ」なんて言うかもしれない。悪しからず。
 
 

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